おとめ座
精神を生かすために
闇の気配
今週のおとめ座は、「寒明や夜空どこまでうすくなる」(阪西敦子)という句のごとし。あるいは、目に見えない領域に目くばせしていくことで世界を広げていくような星回り。
「寒明(かんあけ)」とは寒い季節が終わって、立春を迎え世界がだんだん明るく、暖かくなっていくこと。春が訪れると、闇が深かった冬の夜空までもがだんだん明るくなっていく、そんな季節の移り変わりを詠んだ一句。
ただし、掲句ではそれをそのまま単に「明るくなる」とするのでなく、「うすくなる」とすることで、到来する光だけでなく、薄れつつある闇の気配にも心配りをしている訳です。
おそらく、そうすることで世界をより深く、迫力をもって感じているのでしょうし、そもそもスケールの大きな世界観というのは、単純に物事を<光と闇>に二分して前者だけをよいもの、素晴らしいものとして焦点を当てていくのではなく、どちらにも目くばせをして、両者を適度に包み込んでいくことで初めて成立するものなのではないでしょうか。
そういう意味では、こういう裕福な言葉遣いができる人というのは、感情がすぐに伝染してしまうSNSでbotみたいなことしか言えなかったり、スタンプがないと会話さえ満足にできなくなってしまった現代人にはとても貴重な存在であるように思います。
2月8日におとめ座から「世界観の拡張」を意味する9番目のおうし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした裕福な言葉遣いや目くばせを通じて、せせこましい世の中を少しだけ広げてみるといいでしょう。
非時の小道
夜空からしだいに失われていく闇の気配とは何か、ということを、もう少し掘り下げてみましょう。生まれては消え、消えては生まれゆく泡のごとく、たえず生成変化するこの世の時間の轟轟とした力強い流れの中にあってなお、私たちはときどき、いつの間にかそこから脱け出して、非常に深くて静かな場所に到達することがあります。
哲学者ハンナ・アレントは、精神が到達するそうした領域のことを「非時(ときじく)の小道」と呼び、そこでこそ哲学する精神は生きているのだと考えましたが、これは先の闇に目くばせをしていくことで、はじめて世界観は深まるということとほぼ同義と言えます。
「非時の小道」には“静止する今”だけがあり、それは「歴史としてのいつのことというのではなく、地上において人間が存在し始めて以来ずっとあったようにみえる」(佐藤和夫訳『精神の生活』上巻)のだと言います。とはいえ、「非時の小道」を歩むのはなにも哲学的思索ばかりではなく、芸術やスポーツ、遊び、日常の動作を通して、私たちは人生を通してたびたびそこへと訪れているはず。
その意味で、今週のおとめ座もまた、ここのところ見失っていた生のまったき瞬間、時々刻々が新しい創造であるという感覚を味わっていくことができるかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
裕福な言葉遣い