おとめ座
地味だけれど大切な癖の技化
加速主義の実践
今週のおとめ座は、「どうせ」から「いっそ」への転換のごとし。あるいは、慎重さの裏返しとしての大胆さを発揮していくような星回り。
室町時代の庶民の小歌などをあつめた『閑吟集』という歌集に、「何せうぞくしんで/一期(いちご)は夢よ/ただ狂へ(何をしようというのだ、そんなにまじめくさって、一生は夢、ただ遊び狂えばいいのだ)」という有名な歌があります。
この歌の根底にあるのは、「一期は夢」、つまり一生は「どうせ」はかない夢に過ぎない、という思いですが、それが「ただ狂へ」という行動方針へとつながっていくのです。そしてここで注目したいのは、その間には書かれていない「いっそ」という認識による転換が潜んでいるということ。
「いっそ」とは、「より一層」の変化した語か、あれこれと思案した結果、それらを廃棄して、まったく逆の方向に思い切って舵を切る、というニュアンスが込められていますが、例えばそれは「どうせダメになる、ならばいっそ壊してやれ」といったように、先取りされた否定的結論を、現在の時点でよりいっそう加速させ、あばき立ててやるといった、大胆で興味ぶかい批評精神の現われでもあるのではないでしょうか。
9月7日に自分自身の星座であるおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした思い切った転換を自分に仕掛けていくことがテーマとなっていくでしょう。
サティの帰り道
19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの作曲家で、しばしば「音楽界の異端児」と呼ばれるエリック・サティは、32歳の時にパリの中心部から郊外の町に引っ越してからというもの、死ぬまでの約30年間ほとんど毎朝、元の家までの10キロ近い道のりを徒歩で歩くことを日課とし、途中ひいきのカフェに立ち寄って、友人と会って酒を飲んだり、作曲の仕事をしたりしながら、午前1時発の最終列車までの時間を過ごしたのだと言います。
時おり、というか、しばしば彼はその最終列車さえも逃して、そのときは家前の道のりをやはり徒歩で歩き、帰りつくのが夜明け近くなることも少なくなかったのだとか。
こうした彼の徒歩癖は、その創作活動とどんな関係にあったのか。ある研究者は、サティの音楽の独特のリズム感や、「反復の中の変化の可能性」を大切にするところなどは、「毎日同じ景色のなかを延々と歩いて往復したこと」に由来するのではないかと考えているそうですが、直感的に述べれば、それは先に述べた「どうせ」から「いっそ」への転換にあったのではないでしょうか。つまり、「どうせ」列車を逃したのなら「いっそ」長い帰り道を少しでも楽しもう、と。
今週のおとめ座もまた、人知れずアイデアを生み出していくための方法について試行錯誤していくべし。
おとめ座の今週のキーワード
一期は夢よただ狂へ