おとめ座
雨すなわち花としての芸
かたつむり再誕
今週のおとめ座は、「雨つねに鮮(あたら)し森のかたつむり」(村上鞆彦)という句のごとし。あるいは、サッと変わっていくための“てこの原理”を見つけていこうとするような星回り。
普通に読めば、雨はつねに新しいということと、森のかたつむりが目の前にいるという事実が単に並べられているだけの説明的な印象。
ただし、これを五七五の音で区切ると、中七は「鮮(あたら)し森の」となり、森もまた雨によってつねに新しくなっている、というイメージが加わり、そのしたたるほどに新鮮な森でのびのびと身体を伸ばしている「かたつむり」の姿が自然と浮かんでくるはず。
かたつむりは移動能力が極端にちいさく、また市街地では鳥などの捕食対象となりやすいため、どうしても個体が小さく縮こまったものになりがちですが、掲句のような鬱蒼と繁る亜熱帯の「森のかたつむり」であれば、さぞや大きくなっているばかりか、都心に比べて個体数もずいぶん多いのではないでしょうか。
そして、文章では説明的な事実の羅列だったものが、俳句という形式を通すことで途端にリアリティが変わってしまうというある種の魔術化のプロセスを踏んでいくという点では、掲句は今週のおとめ座と通底するところがあるように思います。
10日におとめ座から数えて「中長期的な未来ビジョン」を意味する11番目のかに座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、今の自分や現状には一体どんな魔法が必要なのか、改めて考えていきたいところです。
世阿弥の芸能観
能の大成者・世阿弥は、後世への伝道書である『風姿花伝』の中で「花と、感興と、新鮮さと、これら三つは同じことである」と述べていました。
この「花」とは実際の花ではなく「生命力の発現」に他ならないのですが、それは“年齢をこえて生きてくる芸のちから”でもあり、その根底には何事につけても新鮮さをもって何かを表現することを体得すること以外に<まことの花>というものはないのだ、という世阿弥独自の芸能観がベースにあったようです。
つまり、世阿弥にとってすべての芸術表現(=花)というのは、私たちのこころに新鮮さを呼び起こす「雨」であると同時に、それがそのまま神事となって魂を鎮めてくれるものでなければならないし、そうであってこそ人を深いところで感動させることができるのだ、と。
自分の発する言葉や振る舞いが、誰かのこころを鎮める「雨」となるまで、生命力を練り上げ、年齢をこえて花を咲かせていくこと。今週のおとめ座に与えられたテーマは、あるいはそんな風にも言えるかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
芸は身を助く