おとめ座
生活をデザインする
イェイツのイニスフリー
今週のおとめ座の星回りは、ウィリアム・バトラー・イェイツの「イニスフリー湖の島」という詩のごとし。あるいは、ひっそりと跳ねるベニヒワの羽音のような生活のリズムを取り戻していくべし。
さあ、立ちあがって行こう、イニスフリーに行こう、
ちいさな小屋をあの島に建てよう、粘土と小枝を使って。
豆は九列でいい、それから蜜をとるのに、ハチの巣箱と、
ミツバチが騒ぐ谷間で、ひとり暮らそう。(須賀敦子訳)
一行目冒頭の「I will arise and go now(さあ、立ち上がって行こう)」という箇所からすでに、まだ知らなかった人生の部分に足を踏み入れようとしている者の感慨を感じますが、作者のイェイツはこれを舗装されたロンドンの街路にたたずんで、つくづく故郷を想いながら書いていたのでした。
つまり、周囲に流されるのではなく、今度こそ自分らしい生活に戻るぞ、とそんな詩人の決意が書かせた詩行なのでしょう。
「それから、安らぎをすこし手に入れよう、安らぎはゆっくりと降りそそぐから、
朝の時間の紗をとおしてコロオギが歌うそのあたりまで
真夜中がきらめきそのものになるあたり、正午はむらさきのほむら、
そして夕ぐれはベニヒワの羽ばたきにすべてがいっぱいになる。」
12日におとめ座から数えて「生活の美学」を意味する6番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、どんなにささやかでも、この詩のような「これ以外にない」といった深い感じをみずからの日常生活に取り戻していきたいところです。
生産性以外の基準
本来、私たちが持ち得ている肉体というのは、人工的に再現しようとすれば一つの広大な敷地を有する工場が出来上がってしまうくらい、複雑な機構や働きがギュッとコンパクトに詰まっているのですが、私たちはそんな工場の生産性だけは享受しながらも、しばしばメンテナンスを忘れ、またそれらを美しくデザイン(再配置)していく手間を省いてしまいがちです。
都市に暮らし、車を乗り回し、一日中パソコンの前に座るようになってから、人間はどうしてもコスパや生産性といった基準でしか肉体を見れなくなっていき、イェイツのイニスフリー的な肉体・生活デザインを思い描くことさえ稀になってしまっているのです。
それ以前の、かつての人類は、何を食べるか、それがどこにいるか、どのように生きえるかについて常に考えながら生きていました。農耕の始まりまで、人間は植物が見分けられなければならなかったし、おいしい食べ物と毒のあるものとを取り違えた者は、もし無事に生き延びることができた場合、同じ間違いを繰り返さないことを誓いながら、自分の経験を他の人にも伝えてきたはず。
その意味で、今週のおとめ座においては、特に胃や腸をケアすることを通して、自然とつながろうとする本能を再び呼び覚ましていくことが大切な課題となってくるでしょう。
今週のキーワード
noon a purple glow正午はむらさきのほむら