おとめ座
運命を愉しむ
裏をかく
今週のおとめ座は、「月の雨こらへ切れずに大降りに」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、妨げをこそ楽しんでいくような星回り。
せっかくの秋の夜空に冴えわたるはずの月も、雨が降っていて見えない。その見えない月を想うのでもなく、また他の月との取り合せの素材を探す訳でもない。
十五夜に月が見えないことを「無月」「雨月(月の雨)」といい、言葉そのものが味わい深いので、使ってみたくなるところですが、掲句はその裏をかいて、月を見えなくさせている雨に集中して詠まれた一句。
雨がやむかと期待していたのに…という思いがあるはずですが、それだけでは終わらないところがじつに面白い。
「こらへ切れず」とは、それまで耐えていたものが勢いよく行動を起こすさまを表す言葉ですが、これは人間に遠慮して降らないよう我慢していた雨の立場に立っている訳です。
つまり、その雨に思いがけず興じてしまう作者の胸のはずみが、自分でも意外なほど期待が外れた拍子抜け感を凌駕していったということなのではないでしょうか。
10月1月から2日にかけて、おとめ座から数えて「普通に生きていくことの否定」を意味する8番目のおひつじ座で特別な満月を迎えていく今週のあなたもまた、普通ではいられない状況や自分自身の運命をどこまで楽しんでいけるかがテーマとなっていくはず。
村上春樹の『アフターダーク』の挿話
日が暮れてから夜が明けるまでの一晩の出来事を描いているこの作品の中に、次のような挿話が出てきます。少し長いですが引用してみましょう。
三人の若い兄弟が嵐に流され、ハワイのある島にたどり着いた。高い山が中央にそびえ立つ、美しい島。その晩、三人の夢の中に、神様が現れる。
『海岸に三つの岩があるから、その岩をそれぞれ転がして、好きなところへ行きなさい。どこまで行くかは自由だけど、高い場所へ行くほど、世界を遠くまで見渡すことができる』
翌朝三人は言われた通り岩を転がし、進んだ。(中略)最初に、いちばん下の弟が止まった。「兄さんたち、俺はもうここでいいよ。ここなら魚も取れる」。続いて、次男が山の中腹で止まった。「兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果実も豊富にある」。長男だけが、どんどん狭く険しくなる道をほとんど飲まず食わずで進み、とうとう山のてっぺんまで岩を押し上げた。長男は山の頂上から世界を眺めた。彼は、誰よりも遠くの世界を見渡すことができた――が、彼がたどり着いたその場所は、荒れ果て、水も食べ物も十分にない場所だった。だけど長男は後悔しなかった。彼は、世界を見渡すことができたから……。
この話から得られる教訓は、「何かを本当に知りたいと思ったら、人はそれに応じた代価を支払わなくてはならない」ということ。今のあなたがなろうとしているのは、三兄弟における末っ子でしょうか、次男でしょうか、それとも長男でしょうか。
もし迷っているなら、いま一度自分の中の好奇心に問いかけてみるといいでしょう。
今週のキーワード
食指が動くかどうか