おとめ座
自由の必要を見極める
漂泊の心性を温める
今週のおとめ座は、「定住漂泊」という言葉のごとし。あるいは、自分の中のいまの日常では決して満たされない部分について真剣に向き合っていこうとするような星回り。
これは俳人・金子兜太がまだ日本銀行に勤めていた53歳頃に、2年後に近づいた定年を前に自身の生き方を定めるつもりで書いた本の題名であり、そのまま彼の生き様を表した言葉です。
「定住」という言葉はある。「漂泊」という言葉もある。ただ、その二つを四文字の熟語として体験的に一つに統合していったところに、その意味するところはありました。
さすらい、漂泊の心性、心というものをみんなもっている。世の中が豊かになればなるほど逆に、漂泊の心性に憑かれて、独りの道を歩むようになる。歩めなくなった場合でも、定住した状態でその漂泊の心性を温める。温めることのなかから何かが生まれてくる。それが創作のエネルギーになっている。そういう意味で、漂泊の心、心性、これが人間にとって基本のものではないか。(黒田杏子『金子兜太養生訓』)
金子にとって、漂泊とはある種の情念であって、必ずしも放浪生活を必要とはしなかったのでしょう。そうではなくて、反時代の、反状況の、あるいは反自己の、定着することができない魂の在り様であって、その芯の部分には「無」や「虚」があったのだと思います。
27日におとめ座から数えて「分離と遊び」を意味する3番目のさそり座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分の中にある日常では決して満たされない部分を薄めてしまうことなく、肯定し受け入れていくのか否定し絶っていくのか、問われていくことになりそうです。
漂泊の俳人
種田山頭火といえば、自由律俳句を代表する人物として、俳句をやっていない人にさえも名を知られているちょっとしたスターと言えます。ただ、漂泊流転の俳人と言えば聞こえはいいですが、それは世間とどうしても融合できぬ自分を呪いに呪った末、人間らしさをぎりぎりのところで保つために採用された最後の手段でした。
実際、漂泊の生活を始めて数年たった、ある日の彼の日記には次のようにあります。
「毎日赤字が続いた、もう明日一日の生命だ、乞食して永らえるか、舌を噛んで地獄へ行くか……」
また、さらに晩年の日記には「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」とも記しています。
恐らく、多くの人はそうまでして漂泊の身であり続けることには耐えられないでしょう。逆に言えば、山頭火にはそうせざるを得ないだけの「無」や「虚」があったということ。
ひるがえって、あなたの魂にはどれだけの「無」や「虚」が巣食っているのでしょうか。今週はそんなことをおぼろげに考えてみるといいでしょう。
今週のキーワード
反自己の情念