おとめ座
脱力と逸脱
アニミズム的感覚の訪れ
今週のおとめ座は、「投げ出して足遠くある暮春かな」(村上鞆彦)という句のごとし。あるいは、自分の体の一部が別世界に属していくような星回り。
足を投げ出していて、ふと自分の体の一部であるはずの足が、なぜか遠く遥かな存在に感じられた。それが春の暮れであるのは、海にしろ山にしろ、どこか遠くを望める郊外へと足を延ばしたのかも知れない。いや、そうであるに違いない。
遠くの山々の方へと足を投げ出してリラックスしているうちに、その遠景のなかに足が溶けこんでいくように感じたのだろう。既にだいぶ日は暖かく、季節も初夏へと移りゆこうとしている。
こうした不思議な感覚はまさに春の終わり特有のものであり、それをごく素朴になんでもない風に詠ってみせたアニミズム俳句とも言える。
誰しも子供の頃にそうであったように、身体の感覚はつねに一定である訳ではなく、伸びたり縮んだりするものであり、大人もまた童心に返るほどに身体は伸びるのだ。
5月1日におとめ座から数えて「精神の拡張」を意味する9番目のおうし座で、水星(言動)が天王星(スクラップ&ビルド)と重なっていく今週のあなたもまた、身体感覚の上に築かれた自分のリアリティーが突如として変形し拡張していくのを目の当たりにしていくはずだ。
知覚の扉澄みたれば
作家オルダス・ハクスレーが自身で幻覚剤メスカリンを使用した意識変容体験記『知覚の扉』の巻頭には、神秘主義詩人ウィリアム・ブレイクの詩の一節が引用されています。
「知覚の扉澄みたれば、人の眼にものみなすべて永遠の実相を顕わさん」
メスカリンとはもともとペヨーテというサボテンの一種から取れる成分で、かつてのアメリカの原住民たちにとってペヨーテは極めて崇高な存在であり、まさに意識を未知の次元へと誘う「知覚の扉」だった訳です。
ただそうした古き共同体には、見知った世界を抜け出したいと急ぎ焦る若者に対して「お前はまだその準備ができていない」と釘を刺してくれる長老格が必ずいたものでしたが、今日の現代社会では、そうした緩衝材はほとんど機能しなくなりました。
だからこそ、他ならぬあなた自身が確認しなければなりません。「本当に扉を開けるのか?」と自分の心にノックして、はたして応答があるのか否か。自分の世界がどこまで開かれているのか。今週のおとめ座は、‟それ”をこそ確かめていくことになるでしょう。
今週のキーワード
精神のトリップの準備運動としての肉体のトリップ