おとめ座
メメント・モリ
秘密と盲点
今週のおとめ座は、「墓石に映つてゐるは夏蜜柑」(岸本尚毅)という句のごとし。あるいは、執拗な不安感を鎮めていくような星回り。
墓石になにかが映っている。よく見てみると、それは夏蜜柑(みかん)である。
この認識のわずかな遅れと事実関係の曖昧さこそが掲句の味になっています。
それの意味でこの句は、見えてはいけないものが見えてしまったり、本来あるはずのものが消えてしまったりといった、イレギュラーな認識のブレがおきてきやすい今のおとめ座をまさに象徴するような一句と言えるかもしれません。
はじめは「墓石」だけが作者の認識にあって、その上でそこに「夏蜜柑」が映り込んでいることに気付いた訳ですから、少なくともそれは作者が用意した供物ではないはずです。
お墓の近くの樹に実っているものなのか、隣りのお墓に供えられたものなのか。その場合、その隣りの墓と目の前の墓にはどんな関係があるのか。
そもそも、作者は目の前の墓に対して、どんな心情を持ってやって来たのか。すべてがおぼろげで、謎が謎を生んでいる。
8月1日(木)におとめ座から数えて「意識の盲点」や「深い無意識領域」を意味する12番目のしし座で新月が起きていく今週は、その意味で自分の人生に思いがけない仕方で影響を与えてくるもの(夏蜜柑)がどこにあるのかということについて、大まかな当たりをつけていくことになるでしょう。
マイハッピーお葬式
ルーマニアの思想家シオランは、精神の狂熱やこの世に存在することにまつわるそこはかとない不安を鎮める方法について、次のような方法を提案していました。
「自分の葬式の情景を思い起こしてみるにかぎる。誰にでも手の届く有効な方法だ。昼日中に何度もこの手を使う羽目にならぬよう、起床したらすぐ、この方法の恩恵に浴してみるのが上策である。」
こうした方法をさらに先の句とつなげてみるならば、自分の墓に訪れてくれている人として真っ先に思い浮かぶ人は誰であり、自分の墓が映し出すものは何であろうかと想像してみるのもいいでしょう。
おそらく、先の「夏蜜柑」とは墓の下に眠る人と作者との関係性を暗示するシンボリックなアイテムであり、故人が残された人々のなかに遺した「果実」なのだとも言えるかもしれません。
今週のキーワード
死の床に横たわるおのが姿を一枚の絵にして眺める