おとめ座
おのれを知るために
自分をどこへ置いていくか
今週のおとめ座は、「我だけを想う男のつまらなさ知りつつ君にそれを望めり」と歌った俵万智のごとし。あるいは、自分をよく見せようとするよりもずっと面白いことがあるのだと知っていくような星回り。
私たちはみな、自分が特別な人間であると思い続けていくことを、どこかで諦めきれないでいる。特に何らかの自己表現に携わっているような人たちは特にその傾向が強い。そうでなければなかなかやり続けられないところがあるし、逆に言えば自分は特別でないと悟った時点であっさり辞めてしまう人は多い。
ところが、俵さんの冒頭の歌などは、拍子抜けするくらい自分を何でもないような場所に置いている。というのも、こういう女性心理というのは、過去に何度も歌われてきたようなありきたりなものだし、いかにも日常的な、ごくごく普通の息遣いをしている。
だからこそ、多くの読者が自然と共感を寄せられる、すぐれた文学作品たりえているとも言えるのですが、ではこの歌人の本心が本当にこの歌の中にあるのかと言うと、それはどうも分からない。あくまで意図的に、自分をそういう立場に置いてみているのではないかという疑いが消えないのだ。
もし仮にそうだとしたら、相当に見に着いた意識の仕方だし、そういうところから紡がれる言葉だからこそかつてないインパクトを周囲に与えていったのかも知れない。
それは単に自分をよく見せようと背伸びをするよりも、ずっと難しくて、なによりトライするだけの価値があることのように思える。
おとめ座から数えて「意識の開け」を意味する9番目のおうし座で新月へと近づいていく今週は、そういうところに自分を置いて言葉を紡いでいきたいところ。
自分自身と出会っていく
愚かであることの定義はいろいろありますが、総じて当事者意識がない点は共通していると思います。ところが時に人は、ふっと自分が何者なのか、何をしているのかを誰かから教えられることがあります。
エリック・ホッファーは砂金掘りに出かけた冬に、モンテーニュを読んで「自分のことを書いている!」と思ったそうですし、同じことを松岡正剛は稲垣足穂の『男性における道徳』を読んだときに思ったそうです。
「これこそ自分だ」と思えるようなことを書いてくれている誰かと出会えたかどうかで、人は意識がガラリと変わっていく。今週はそんな言葉の欠片をていねいに拾い集めていくこと。そして、それを今の自分と照らし合わせて、きちんと過不足を認識していくことが重要なテーマとなっているのだと言えます。
今週のキーワード
当事者研究