おとめ座
来るべきものを待ち望む
「イノベーション」と「インベンション」の違い
今週のおとめ座は「雪ふるよ障子の穴を見てあれば」(正岡子規)という句のごとし。あるいは、やらずにはいられないことを、身を切ってでも行っていくような星回り。
正岡子規は、27歳で病いを得てから34歳で亡くなるまで7年もの間、ずっと病床にありながら短歌や俳句の革新を成し遂げていった訳ですが、一方でずっと子供のような好奇心を失わなかった人でもありました。
郷里の松山では雪は珍しかったでしょうから、なおさら東京でふる大雪にわくわくしたはずです。体が冷えるのも構わず布団から身を乗り出し、紙の障子に穴をあけて降りしきる雪をじっと見つめる。
そんな彼の姿はやはり、彼の遺した業績の革新性を物語るものでもあったように思います。
つまり彼のやったことというのは、中に(in)来る(venir)の「インベンション(来るべきもの)」であって、「イノベーション(新しきもの)」ではなかった訳ですね。ああ、やっと待ち望むものが来たと。
新しいもの(novelty)を見せて世間や誰かをあっと言わせてやろうというのでは決してない。
今週のおとめ座のあなたもまた、そのあたりの違いということを、自分の身に引きつけて考えていきたいところです。
ゆらゆらして待つこと
「美しいと汚いは、別々にあるんじゃあない。
美しいものは、 汚いものがあるから 美しいと呼ばれるんだ。
善悪だってそうさ 善は、 悪があるから、 善と呼ばれるんだ。
悪のおかげで 善があるってわけさ。
同じように、 ものが「在る」のも、 「無い」があるからこそありうるんでね。
お互いに 片一方だけじゃあ、在りえないんだ。(中略)
だから 道の働きにつながる人は 知ったかぶって手軽くきめつけたりしない。
ものの中にある自然のリズムに任せて 手出しをしない。
すべてのものは生まれでて 千変万化して動いてゆくんだからね。」(加島詳造、『タオ 老子』)
世間で普通に生きていると、前向きに生きるとか、正義を胸に善を成すとか、 美しいものに触れるといったことが肯定的な価値として捉えられがちです。
ですが今週は、そういう区別なんて本当はないのかもしれない、というところまでいったん降っていった上で、あくまで自分自身が待ち望んでいたものの訪れを、身体を揺らして待っていきたいところ。
今週のキーワード
自触媒反応