おとめ座
自己矛盾と自己一致
私にはいくつかの顔が
今週のおとめ座は、「貌が棲む芒の中の捨て鏡」(中村苑子)という句のごとし。あるいは、忘れかけ、離れかけていた自分とふたたび出会い、一致していくような星回り。
初夏の青芒(すすき)の爽やかな美しさはたとえようもないが、やはり銀色に揺れわたり、光たなびく秋のすすきの華麗さは、筆舌に尽くしがたいものがある。
そんなすすきの原に落ちている1枚の鏡、そしてそこに棲みつく女の顔。女は鏡から離れず、鏡も女を離さない。そして、そんな光景を幻視してしまった作者という、三つ巴の無限鏡のはざまを、すすきが、ザザザザと音を立てて揺れている。
鏡に棲みついた顔とは、おそらく若かりし頃の作者自身のそれだったのではないだろうか。誰にでも、「花ざかり」というものはある。
ただし、作者は自分はもうとうにその頃合いを過ぎてしまったのだと、悲嘆に暮れているわけではない。むしろ、見失いかけていた自身の在りし日の姿を不意に思い出したことで、胸が華やぎ、唇に紅を差す心姿が浮んでくるようでもある。
今週のあなたもまた、自分が失いかけていたもう1つの顔を取り戻していくことになりそうです。
異なる個人と魂の同一性
「この子はおばあちゃん(おじいちゃん)の生まれ変わりだ」などと誰かが言うのを聞いたり、実際に自分がそう言われたことはないでしょうか。
死んだらそれで終わり、無になるのだという近代科学的な「イデオロギー」にこだわっている人にはずいぶん奇異に聞こえるかもしれませんが、こうした異なる個人の中に「魂の同一性」を感じとり、愛でようとする伝統は、日本だけに止まりません。
太平洋地域に住むネイティブの文化や伝承には、祖父母と孫、曾祖父母と曾孫の特別の結びつきを語る事例が豊富に見られるものです。
たえずノイズのつきまとう雑多な情報環境の中で生きざるを得ない現代人にとって、そうしたかすかな結びつきは他のガラクタと一緒になって、どこぞに埋もれてしまう。
ですが今週はあなた自身もまた、いつまでも老いることのない子供であると同時に、ほとんど死につつある老人でもあるような、そうした現実の層に分け入っていくことができるかもしれません。
今週のキーワード
花ざかりは生まれ変わり続ける