おうし座
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丁寧に仕込む
今週のおうし座は、「鮓押て待つ事ありや二三日」(三宅嘯山)という句のごとし。すなわち、「即戦力」という“まやかし”を見透かしつつ、手を動かしていくような星回り。
作者は江戸時代の人。かつて鮓(すし)と言えば、もっぱら魚を米に重ねたものに重しをのせ、発酵させた「熟れ鮓」のことを指しました。これが「鮓押す」。掲句では、そこにあえて何を待っているんだろうかと謎かけをしている。
確かに、こういうことは日常でもよくあるように思う。確かに物理的には部屋の掃除をしているのだが、同時にそれは頭のなかをよぎる邪念や思い出したくない記憶を祓おうとしているのだったりする。
さて、では今あなたは何を仕込み、一体何を待っているのか。あるいは、待つという行為自体を楽しもうとしているのか。
確かに今すぐに役立つことやモノは、便利ではあるけれども、すぐに自分や周囲に消費され消えてしまうものでもあるわけで。
あなたは今、もっと時間をかけて作られ、丁寧に使われ繰り返し堪能されていくような生き方を、自分の手で作りなおしたくなってきているのかも知れません。
セネカの問いかけ
暴君ネロの家庭教師をつとめ、のちに謀反に加担したかどでネロに自殺を命じられたローマの哲人セネカには、『人生の短さについて』という著書があります。
実際には70歳を超えるまで長生きしたセネカ。
ですが、この本の中で繰り返し述べているのは、人生はみなが思っている以上に短くはないし、時間の使い方次第で相当のことができるが、自分の時間を生きていない者はその限りではない、ということ。
「何かに忙殺される者たちの置かれた状況は皆、惨めなものであるが、とりわけ惨めなのは、自分のものでは決してない、他人の営々とした役務のためにあくせくさせられる者、他人の眠りに合わせて眠り、他人の歩みに合わせて歩きまわり、愛憎という何よりも自由なはずの情動でさえ他人の言いなりにする者である。そのような者は、自分の生がいかに短いかを知りたければ、自分の生のどれだけの部分が自分だけのものであるかを考えてみればよいのである。」
自分の教え子に自害を迫られたセネカは、最後に何を思ったのでしょうか。そういう意味では、彼の人生そのものがひとつの問いかけのように思えます。
今週のキーワード
自分の生のどれだけの部分が自分のものであるか