
おうし座
つれづれなるままに

鬱蒼としたジャングルの探索者
今週のおうし座は、中井久夫の言うところの「金星人」のごとし。あるいは、異常で特殊な体験ばかりでなく、そうでない体験の豊かさや多様性をみずからの手足を通して耕していこうとするような星回り。
精神医学者の中井久夫は、『精神科医がものを書くとき』というエッセイの中で、自身の学生時代に同じ下宿だった理論物理学者と、その共通知人でオサムシの触覚にしか生えないカビを研究していた生物学者を例に出し、そこから学問の両極性を知ったのだと回想しています。
いわく、前者の人物は「世界をできるだけ単純な公式に還元しようとする宇宙論や哲学あるいは数学」の学徒らしく、「少数の本を手元に置いているだけ」で、大部の本を買ってきても「飛び石のように数式だけを読んで200ページくらいの本を1時間もするとごみ箱に直行させる」一方で、後者の人物は「世界の多様性に喜びを見出す博物学」の学徒らしく、「部屋には大部の図鑑類が揃っているのはもちろん、たとえば魚類図鑑には印と感想が書き込まれ」、「図鑑の魚を機会あるごとに食べて、味を評価していた」のだそう。つまり、「視覚だけでなく、味覚まで総動員して、世界に直接肌で接しようと」していたのだと。その上で、中井は彼らを異星人に喩えて、次のように述べるのです。
私は二人の友人のうち、前者を「火星人」、後者を「金星人」と呼び、自分をひそかに「地球人」と(厚顔にも)規定していた。当時のSFでは、火星は幾何学的な運河と抽象的な建築のひっそりと並ぶ他は風の吹きすさぶ砂漠であり、金星はジャングルの鬱蒼と茂る世界だったからである。
こうした中井の分類に即して言えば、今のあなたは占星術的に後者のタイプへと移行しつつあるのだと言えますが、奇しくもおうし座の支配星(守護星)は金星であり、この偶然にもひと掴みぐらいの意味はあるように思います。
6月11日に「恩恵」を司る木星がおうし座から数えて「多様性への開け」を意味する3番目のかに座に移っていく今週のあなたもまた、もし今あなたが興味を持っている相手や対象があるならば、できるだけ直接肌で接して、実感できるよう動いていくべし。
「部分の芸術」としての随筆
西洋では長いもの、大きなもの、派手なものが好まれ、小品よりも大作の方が評価が高い傾向がありますが、日本では逆に短いもの、小さなもの、地味なものが好まれ、それが端的に現われたものが随筆でしょう。
方丈記にしろ徒然草にしろ枕草子にしろ、そこにあるのはてんでばらばらな話題の寄せ集めで、そこには全体を律するプランというものはありません。西洋のエッセイは形式こそ自由ですが、ゆるやかにせよ建築的なプラン(全体の構図)はしっかりとあり、こういうものを読みなれた西洋人が日本の随筆を読んだら、そのずさんさと統一感のなさに唖然としてしまうかも知れません。
なぜこうした違いが出てきてしまうのか。それは日本人が「部分」あってこその「全体」という考えやこだわりが強く、ほとんど「全体」など眼中にないからでしょう。「全体」はあくまで後からついてくるものであり、偶然的なものの結果でしかないのです。
フランス文学者の野内良三はこうした日本特有の随筆や和歌、俳句などを「部分の芸術」と呼びましたが、これは先の中井久夫の分類で言えば、「金星人の芸術」とも言えるのではないでしょうか。その意味で今週のおうし座もまた、ミクロの視点をこそ改めて大切にしていきたいところです。
おうし座の今週のキーワード
「部分」へのこだわりを優先させること





