
おうし座
謎と向き合う

<乗合馬車的コンセンサス>から降りる
今週のおうし座は、地下鉄サリン事件の或る被害者証言のごとし。あるいは、既存の制度内の手垢にまみれた言葉ではなく、どこか新しい方向からやってきた言葉に焦点を当てていこうとするような星回り。
今からちょうど30年前の1995年3月20日、月曜日の早朝だった。次の日が春分で休日の、連休の谷間で、それは何の変哲もないいつも通りの朝であり、他と見分けのつかないような人生の中のただの1日となるはずだった。
ところが、実際にはそうはならなかった。地下鉄車内で同時多発的に猛毒サリンが撒かれ、6人死亡900人に被害を出すという異様な大事件があり、オウム真理教という狂気の集団による前代未聞のテロ行為が起きた日として歴史に刻まれることとなった。当然、それからしばらくは各種マスコミは事件のことやオウム真理教関係のニュースで氾濫し、世間の大多数の人たちは、みずからを「正義」と「正気」と「建常」の側に迷うことなく置いて、事件の実行犯たちや麻原彰晃、オウム真理教信者たちを叩いたり、断罪したりしていた。
ただ、それが本当にところ何であったのかということについては、十分に語られていないのではないか。事件後にそう考えた村上春樹は、事件の直接的な被害者や関係者62人にインタビューを実施し『アンダーグラウンド』(1997)という1冊の本にまとめてみせた。そのうちの1人である当時30代後半のサラリーマンであった男性の証言を一部引用したい。
こんなこと言うと変だけれど、ああいう宗教、狂信的なもののことを理解できないでもないというのは、昔から気持ちとしてあるんです。頭から否定する考え方は持っていない。(…)ただグループ化する、集団化するというのは、どうも好きではない。だから宗教団体にも興味はありませんが、そういうものについて真剣に考えること自体が悪いという風には思いません。少しは理解できます。
(事件の翌日に離婚話を切り出すなど)家庭のごたごたが続いていたものですから、僕はその当時はあまり自分自身を大事にするような気持ではなかったんです。(…)もしたとえ死んでいたとしても、それはひとつのアクシデントに出くわしたようなもんだと、あるいは自分ですんなり納得しちゃったかもしれないと思います。
3月20日におうし座から数えて「物語の浄化」を意味する12番目のおひつじ座に太陽が移っていく(春分)今週のあなたもまた、自分が生きてきたはずの現実をもう一度別の角度から、別のやり方で、しっかり洗い直していこうとするような星回り。
「物みなは歳日と共に亡び行く」
詩人の荻原朔太郎には、自分は一種の人生の敗残者だという思い込みが強くあったようで、たとえば晩年に書かれたこの詩には、その感が強くあらわれているように思います。
わが草木とならん日に/たれかは知らむ敗亡の/歴史を墓に刻むべき。
われは飢ゑたりとこしへに/過失を人も許せかし。過失を父も許せかし。
彼は34歳で結婚した妻と10年後に別れており、その際、妻は一青年と出奔し、朔太郎は2人の娘を連れて実家に帰り、離婚と家庭崩壊の苦悩により一時的に生活が荒廃しています。もちろん、「日本近代詩の父」と称される彼の人生は、傍目から見れば華やかな成功に彩られていた訳ですが、それらで相殺されてもなお、彼のこころには深い悔恨が残されていたのでしょう。
今週のおうし座もまた、自分のこころの奥底にどんな未消化な苦悩やその痕跡が残されているのかを、ひとり静かに見つめ返してみるといいでしょう。
おうし座の今週のキーワード
みずからを「正義」と「正気」と「建常」の側に置かない





