おうし座
運命の女神のいたずら
大地母神の陰部
今週のおうし座は、回転する車輪のごとし。あるいは、どこかで運命の女神の存在を肌で感じ取っていくような星回り。
作家の倉本四郎は『鬼の宇宙誌』において、『北野天神縁起絵巻』に登場する地獄絵の中でも、焦熱地獄で罪人の背を轢き敷いている火を噴く車輪に注目して、2つの疑問を投げかけています。
1つ、なぜ車輪が責め具になっているのか。2つ、なぜ車輪を構成する輻(や)は8本なのか。ます前者については、まず車輪が鬼が直接手に取ることがない唯一の責め具であることから、「車輪は地獄の時間の法則をあらわすものとして描き込まれたに違いない」と結論づけられています。
すなわち、地獄では鬼に叩かれ削られ焼かれ粉にされても、そのたびに罪人はよみがえり、ふたたび責められるのだと。こうした象徴としての車輪のイメージは、源信の著した『往生要集』にも、「(人間は)このように次から次に、悪をつくっては苦を受け、いたずらに生まれてはいたずらに死んで、車輪のまわるようにはてしがない」という言い方で登場しており、こうした時間の業罰からまぬがれうる者は神のほかは仙人しかありえず、人間である限り決して逃れることのできないものなのです。
次に輻(や)の数についてですが、ここで倉本の奇想は一気にギリシャ・ローマ世界に飛んで、三相一体の母神ヘーラー(ユノー)を引っ張り出してくるのです。彼女は新月・満月・三日月となってあらわれたり、処女・母親・老婆の姿をとる、死と再生を司る時の支配者であり、ローマではそのシンボルは、首の長い従事の上方にXを組み合わせた形となっている。そして、「この十字の首を縮め、まわりを円でかこめば、8本の輻をそなえた車輪ができあがるはず」であり、これは古く東洋に伝わる、運命を支配する女神の重要なシンボルとしてのカルマの車輪にも通底していくのではないでしょうか。
こうして2つの疑問をとき明かすためのヒントをなぞっていくと、次のような考えが浮かんできます。人間にとって時間こそが克服しえない一番の難敵であり、どこまでも人間を翻弄しつづける車輪とは、またこの世の最も根源的な姿としての「大地母神の女陰」に他ならないのではないか、と。
8月4日におうし座から数えて「現実を支えるイメージ」を意味する4番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、精神の根底に横たわっている世界観が改めて鮮やかに呼び覚まされていくことになるかも知れません。
行方の確認
現在の渋谷ヒカリエがある場所で、かつて最晩年の星の民俗学者・野尻抱影は「星に感じる畏怖」と題する講演を行い、その締めくくりに自分が死んだらオリオン座の右はじ、すなわち亡き妻が眠る宇宙霊園に葬られたいと語っていたといいます。ただし、これは野尻お得意の冗談でもあり、その頃よく口にしていた“ネタ”でした。
オリオンのね、長方形の四つ角のところ、…そこにねえ、神話に出るアマゾン女兵が……得意の盾を持って槍を持って立っている。これがぼくの“オリオン霊園”の番人ですよ。(1977年2月5日放送NHKテレビの対談より)
そして本当に、放送された年の秋の日の早暁に野尻は逝きました。正確には、1977年10月30日午前2時45分頃。弟子が確認すると、ちょうどオリオン座が南中し、子午線上にはオリオン座γ星ベラトリックス(ラテン語で「女戦士」の意味)が昇っていたという。自己暗示ともとれた野尻の企ては、たしかに成就していたのです。これもまた運命の女神のいたずらでしょうか。
今週のおうし座もまた、自分の死にざまについて想いを馳せるにあたり、陳腐で使い古された方式にただ任せるのではなく、大切なもの、愛すべきものへの洗練された崇敬を示すことができるかどうかが、ひとつの焦点となっていくはず。
おうし座の今週のキーワード
自分に魔法をかけておく