おうし座
ハーモニーを求めて
自然との距離感
今週のおうし座は、坂口安吾の「裏腹の強靭さ」のごとし。あるいは、身近な自然の中に「なつかしい命」を見出し、感じ、その声を聞き届けていこうとするような星回り。
最近の世の中では、個人に求められる資質が、ますます以前のような「手段を選ぶことなく、何が何でも成功してやろう」といった欲望の強さやそれを可能にする行動力から、システムからの「こぼれ落ち」や「はみ出し」に敏感に気付いたり、そうした事情を察知して適切に寄り添っていく弱さへの感受性と適応力へと移行してきています。
そして、こうした前者から後者への移行は、どうしても自己乖離的になってしまう都市生活を見直し、少しでも自然との距離を縮めることに成功していく体験に重ねられるように思うのですが、それは例えば昭和の無頼派作家・坂口安吾が、若い頃の短い教員時代を振り返った自伝的作品である『風と光と二十の私と』などを読むとよく分かるはず。
雨の日は雨の一粒一粒の中にも、嵐の日は狂い叫ぶその音の中にも私はなつかしい命を見つめることができた。樹々の葉にも、鳥にも、虫にも、そしてあの流れる雲にも、私は常に私の心と語り合う親しい命を感じつづけていた。
私と自然との間から次第に距離が失われ、私の感官は自然の感触とその生命によって充たされている。私はそれに直接不安ではなかったが、やっぱり麦畑の丘や原始林の木暗い下を充ちたりて歩いているとき、ふと私に話かける私の姿を木の奥や木の繁みの上や丘の土肌の上に見るのであった。(…)彼等はいつも私にこう話しかける。君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。
坂口の「不幸と苦しみが人間の魂のふるさと」なのだという認識には、死の影に怯えつつそれに立ち向かうという彼の人生観が透けて見えますが、それこそ太宰や芥川など何人もの文学者の自殺に直接的間接的に関わりつつも、それに流されずに生にしがみついていった坂口の裏腹な強靭さの秘訣であり、「弱さ」への感受性の底力なのだと言えるでしょう。
6月14日におうし座から数えて「再誕」を意味する5番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした生命の神秘にみずから触れていくべし。
リズムと旋律への渇き
坂口安吾の3歳年下の同時代人であり、20世紀前半の激動と戦争の時代に弱い者の立場に立ってひたむきに生き、かつ真摯な思索を貫き通した人物に、ユダヤ人思想家シモーヌ・ヴェイユがいます。
彼女には、「労働の意味」や「キリスト教の脱権力化」と並んで、「宇宙と人間の調和」という大変重要なテーマがあり、光と重力という2つの力が宇宙を統御しているという言い方で、そうしたテーマについて何度も繰り返し述べており、「肉体的な呼吸のリズムと宇宙の運行リズムとを組み合わせることが必要である」とも書いていました(『重力と恩寵』)。
そして、このリズムの話は当然ながら音楽と結びつき、「情熱的な音楽ファンが、背徳的な人間だということも大いにありうることである。――だが、グレゴリオ聖歌を渇くように求めている人が、そうだなんてことは、とても考えられそうにない」と言い切るのです。
彼女は別の箇所で、「グレゴリオ聖歌のひとつの旋律は、ひとりの殉教者の死と同じだけの証言をしている」とも書いていますが、彼女もまた殉教者のひとりであり、最後まで渇くようにグレゴリオ聖歌の旋律を求めた人でもあったのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、そうした魂の渇きのなかに自身の哲学を見出していくことになるかも知れません。
おうし座の今週のキーワード
呼吸のリズムと宇宙の運行リズムの組み合わせ