おうし座
みずから光を放つということ
夕暮れ時の冬菊
今週のおうし座は、『冬菊のまとふはおのがひかりのみ』(水原秋桜子)という句のごとし。あるいは、暗い時間帯において内なるしあわせを創りだしていこうとするような星回り。
霜枯の庭に咲く「冬菊」を詠んだ、作者の代表作。12月から1月にかけて咲く冬菊(「寒菊」とも呼ぶ)には幾つか種類がありますが、おそらくは見ごたえのある一輪咲きの大菊でしょうか。
庭の草も木もすべては枯れはてているか、少なくとも省略されている。そうしてあたりの何もかもが夕闇に沈んでいくなかで、冬の菊1本がすーっと立っていて、そのまわりにはうす紫の空気が漂っている。菊の花に他から光がくるようなことはなく、あたりで最も明るいのは菊。視界のなかに存在しているのは、その菊自体が放つ光だけなのだ。
一見ひどく寂しい光景のようにも思えますが、逆に言えば、この菊は自分の身にまとう光でもって、みずからを暮色の景色のなかにふわりと浮かせているのであり、どこか厳しい現実の中でも自ら飾り付けたクリスマスツリーに希望を託すことで乗り越えようとしている人間のようでもあります。
同様に、12月5日におうし座から数えて「希望」を意味する5番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、誰かからのもらうのではなく、みずからひねり出し、わずかでも周囲に広げていくものとしての希望とは何かということを、問うてみるといいでしょう。
見苦しさを超えていけ
例えば、「じたばた」という言葉について考えてみたい。大抵は、何かしらネガティブな状態から逃れようと焦ったり、取り乱したりして、結果的に見苦しい様相を呈する際に使われ、「じたばたするべきはでない」などと否定形でもよく用いられる。
しかし黙ってじっと耐え抜けば、思いきった転身を経ずともいつか事態は好転していくはず、といった日本人好みの信念は、変革期の歴史を振り返ればしばしば大惨事を招いてきた真犯人でもあり、そうした自己批判は今の時代においても有用でしょう。
日本全体が「どうしてこうなったのか?」という解けない問いを突きつけられているような状況にある現代において、悩みそのものに囚われて立ち止まってしまったり、無様にふるまって恥ずかしい思いをしたくないと自縄自縛に陥っていくのではなく、むしろ解けないことについての実践をなしつづけ、そこで現われてきてしまう新局面を積極的に見ていこうとすることこそが、ますます大切になっているのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、みずから光を放つということを、セルフ・ブランディングやフィルター加工などの小手先の次元ではなく、もっと泥臭いところで考え、実行していくべし。
おうし座の今週のキーワード
汚泥の蓮華