おうし座
わが地獄
自分なりのエロティシズム
今週のおうし座は、空海が中国から京都の東寺にもたらした両界曼荼羅(りょうかいまんだら)のごとし。あるいは、人間というのがいかに快楽的でエロティックな存在かということに対する自覚を深めていくような星回り。
宗教学者の山折哲雄は『悪と日本人』の中で、「戦後になりまして、写真家の石元泰博さんが、その両界曼荼羅を克明に写真に撮ったわけです。そうしたら驚くなかれ、一つ一つの仏菩薩、大日如来が婉然と笑ったコケティッシュな女の集団として描かれているということが明らかになった」と述べていました。
女性たちが薄絹を着て、豊満な肉体をして、笑ったり、コケティッシュな目つきをしたりしているその様子について、山折は「遊郭の世界のよう」とも評していましたが、それが我が国では最も古い由緒ある曼荼羅として、1000年以上にわたり礼拝や瞑想の対象とされてきた訳です。
人間の暴力性とエロティシズムは深いつながりがありますから、空海はそういうエロティシズムの恐ろしさを知っていて、宗教とエロティシズムのあいだを深いレベルで行ったり来たりできるようにすることを大切にしていたのでしょう。つまり、まず自分自身の快楽の源泉を見つめ直していこう。そこに向きあい、超えていくということがなければ、宗教的な悟りであったり、神秘体験というものもあり得ないのだ、と。そういう考え方があったのだと思います。
11月27日におうし座から数えて「実存の深まり」を意味する2番目のふたご座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな風に自分自身のエロティシズムというものと改めて向きあってみるといいでしょう。
地獄に堕ちる資質
歴史学者の加賀屋誠は、親鸞の『歎異抄』にある「悪人なおもて往生す、いわんや善人をや」という言葉を、「悪人なおもて地獄に堕つ、いわんや善人をや」と言い換えてみせました(『地獄めぐり』)。
これは自分の心の内に人には言えないような欲動が在ることを自覚し抜いている悪人であれば、迷うことなく地獄の門を開いてそこを旅して巡ることができる一方で、どこかで自分は善人だと思っている人は、心の内にある暴力やエロスの欲動を自身で強く抑圧していることに気が付いていないのだということ。完全な善人ではないにせよ、それでももし善を為したいという気持ちがあるのなら(善人という自己認識を崩したくないのなら)、なおのこと地獄に目を向けるべきでしょう。
その意味で、私たちはみな平等に地獄に堕ちる資質をすでに与えられているのです。しかし、死後の世界としての地獄とはある種の「幻想の異国」であり、生の世界としての現実の実相を映し出す鏡のようなもの。
そして、それはそうした欲動を禁止するためのものであると同時に、安穏とした日々を送るために普段は我慢し排除している欲動が宿っている心の奥の「内なる異国」を充足させるためのものでもあったのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、人に言えない欲動を禁止するためにではなく、むしろ充足させるためにこそ地獄に目を向けてみるといいかも知れません。
おうし座の今週のキーワード
内なる異国を覗きこむ