おうし座
ものをつくるには中断や矛盾が必要であるということ
バラバラのものを繋げていくために
今週のおうし座は、カサガイの生態のごとし。あるいは、自身の生き方に潜むひとつの決定的な矛盾をあらためて受け止めていこうとするような星回り。
アウシュヴィッツ強制収容所の抑留体験に関する著作で知られる作家プリーモ・レーヴィは、最晩年期の「私の家」というエッセイの冒頭で、次のように書いています。
私はこれまでずっと(いたし方のないいくつかの中断を伴いつつ)、自分の生まれた家に暮らしてきた。したがって、私の暮らし向きは選択の結果ではなかった。私は自分が定住志向の極端な例、ある種の軟体動物、たとえばカサガイにも匹敵するような極端な例を示しているものと思っている。カサガイは幼虫のあいだのほんのわずかの期間、自由にあたりを泳ぎまわったあとは、海中の岩のひとつにしがみつき、自分を覆う貝殻を分泌し、残りの生涯をそのなかで過ごしつづけるのである(『他人の仕事』)
彼が暮らしたアパートメントは、19世紀から20世紀の移り目に現れたごくありふれた家の一つで、都心にも近いが、かといって決して騒々しくもない、理想的なロケーションにある住居でした。彼にとって生家は「古い馴染みの友人」のようなものであった一方で、先のエッセイに書かれていたように、自らが身をひそめる貝殻のようなものであり、そこで彼は「いたし方のないいくつかの中断」すなわちアウシュヴィッツでの濃密な記憶に、仕事での旅行などをめぐる淡い記憶をからめつつ、みずからを覆う「貝殻を分泌して」暮らしてきた訳です。
貝のやわらかな肉はそれに護られつつ、同時に縛られてもいて、それはレーヴィにとって無視できないひとつの決定的な矛盾として受け止められていたのではないでしょうか。その意味で、レーヴィは決して生家から離れなかったがゆえに、作家として活動し続けられたのだとも言えます。
15日におうし座から数えて「自己規律」を意味する6番目のてんびん座の新月から始まる今週のあなたもまた、人はみずからに決定的な限定や制限をかけることでかえって大きな可能性を開花させていくことができるのだということを言い聞かせていくべし。
「たとえわれらが欲しなくとも、神は熟する」
1904年、スウェーデンの社会思想家であり女性解放論者であったエレン・ケイに「あなたは神を信じますか?」と問われた詩人のリルケは、次のように答えたと言います。
…このような苦しい体験のすべてから、わたしは次のように信じるようになりました。精神の発達時期に、神は存在しない、存在しえたことはまったくないと思い、また言う、そういう人々は正しいのだ、と。けれども、これの告白は、私にとっては無限の肯定なのです。というのは、もしかすると神は使い尽くされて、消えて無くなってしまったのかもしれないという不安が、すっかり解消して今は、神がやがて存在するだろうことを知っているからです。神はやがて存在するでしょう。孤独な、時間の外に身を避けている人々が、神を建てるのです、心と頭と手で神を建てるのです。ものを造る孤独な人々、芸術作品(すなわち未来の事物)を造る人々が神を建てる、神の実現に着手するのです
かつて神は存在しなかったが、未来における神の存在を信じるというリルケの言葉は、カサガイの生態とあいまって、まさに今のあなたに極めて重要な示唆を与えてくれるはず。
今週のおうし座もまた、みずからが溶けあい一体化していくに値する態度や信仰を改めて見定めていきたいところです。
おうし座の今週のキーワード
心と頭と手で神を建てる