おうし座
追求していくべきもの
朱鳥の俳句精神
今週のおうし座は、『火を投げしごとくに雲や朴の花』(野見山朱鳥)という句のごとし。あるいは、みずからの生き様を鮮やかに浮かび上がらせていこうとするような星回り。
梅雨の時期を代表する花と言えば、紫陽花と朴の花。ただ、紫陽花は割とどこでも見かけることができるのに対し、都心でも庭木として植えられていることはあるものの、やはり樹上高くに咲く純白の花の美しさが際立つのは山中でしょう。
掲句もまた、少し遠くから、花と同じ高さか、花を見下ろすように眺められる位置から目にした光景を詠んだ一句。早朝か、夕方か。いずれにせよ、いくつもの小さい雲が、火のように赤くなりつつ、風にのって空を走っている。火の神が、焔を投げかけるように雲は飛び、そういう空を背景にしつつ、黒みがかった万緑の緑のなかで真っ白な朴の花が浮いているのです。
この赤と白との鮮やかな対比は、読者のこころにどこか壮絶な印象をもたらしますが、それは病気がちでみずからの命のはかなさを痛感していた作者自身と、客観写生をこえたところで作者が俳句を通して到達しようとした「永遠の生命に触れようとする詩精神」のイマージュだったのかも知れません。
6月11日におうし座から数えて「信念」を意味する9番目のやぎ座へ「死と再生」を司る冥王星が戻っていく今週のあなたもまた、改めて自分が残りの人生で貫いていきたい精神のありようを思い定めていきたいところです。
フロマートカの教訓
チェコの神学者で、ソ連やマルクス主義との対話を積極的に行ったことから、他の神学者たちに「赤い神学者」というあだ名までつけられたフロマートカは、みずからの自己決定を大切にしていくべきか、自分の外側になにか人生の基準となるものを求めていくべきかという問いに対し、後者の立場をとるのがキリスト教ではあるが、それは目に見えるもので保証されるようなものではないのだと、たびたび述べていました。
むしろ、そういう目に見えてはっきりしているものや、理屈で説得できるようなものに従っていく行為こそが悪の根源であり、それは自分と他者との関係において現われるのだと。
悪の力は神がいるときにこそ気づかされる。聖書を読んで信仰を持つ者は、悪がいわゆる宗教的分野から遠く離れた現象において見られるのではないこと、神に対する反抗は宗教のローブをまとい、聖なるマントに袖を通していることを知っている(『人間への途上にある福音』)
ここでいう「神に対する反抗」とは、人間に対する反抗であり、自己への反抗と置き換えることもできますが、フロマートカは要するに、私たちの日常にはいかに悪が充ち溢れているか、そしてだからこそ、悪や悪意が現われてくる構造に敏感にならなければならないということを、みずからの経験をもとに説いている訳です。
今週のおうし座もまた、かつてフロマートカがそうしたように、「分かりやすい形で得られる(信念の)保証」からまず断ち切っていくべし。
おうし座の今週のキーワード
赤と白との鮮やかな対比