おうし座
喪失と永遠
原風景としての柿の木
今週のおうし座は、「柿の木に登れば父に逢えさうな」(小松生長)という句のごとし。さまよえる時の流れの中で、失われた何かにふたたび手を伸ばしていくような星回り。
柿の木といえばやはり秋だろうが、どこに生えているのかと言えば、それは郷里の実家と決まっている。
句の作者の意図を明確には知らないが、やはり幼き頃に棲んでいた家の庭に柿の木があり、そこに登って自分や妹にその実をもいでくるのは、父親だけができることだったのだろう。そして、そんな父親をまねて自分でも登ってみたこともあるはずだ。
けれどそんな時に限って父が顔を出し、女だてらにそんなところに登るんじゃないと、私を引きずり下ろした。
時は流れ、父もすでに亡くなり、私ももう樹に登ろうとも思えないくらいの歳となって、実家の柿の木をぼんやりと眺めている。ふと、いま柿の木に登ったら、父は何というだろうかと思い至る。また「女だてらに」と威勢の良い声が飛んでくるか、それとも微笑みながら見守ってくれるだろうか。
今週は心の中の柿の木を、そんなつもりで眺めてみるといいだろう。
希望と絶望を分けるもの
「希望は美しい、絶望も美しい。だが、両者をわけるものは、もっと美しい」という一文を読んでから、「希望と絶望をわけるもの」とは一体何だろうかと疑問に思い続けてきた。
いまだそれに対する明確な答えには至っていないが、最近それは「光明」ではないかと考えるようになってきた。
「光明」というのはただの「光」ではない。 天を覆う雲間から射し込んでくる一条の光であり、そこには身体を震えさせる感動がある。
影の世界にいるからこそ光明は感じることが出来るし、なにかを失って初めて永遠ということが分かることもある。
今週あなたは、世界のどこかに差し込んでいる光明に出会うことができるだろうか。
今週のキーワード
光明