おうし座
過去を汲む
英雄的ではないけれど
今週のおうし座は、フォークナーの『標識塔』の帯文のごとし。あるいは、拗ねた甘えを捨てて、死ぬわけにはいかない理由を明確にしていこうとするような星回り。
20世紀アメリカ文学の巨匠ウィリアム・フォークナーが1935年に発表した小説『標識塔』は、文字通り標識塔(パイロン)を周回飛行して賞金を得る競技を渡り歩く飛行士たちの物語なのですが、この小説が収録された全集第11巻の帯文には次のようにあります。
ニューオリンズをモデルとした南部の町を背景に、賞金稼ぎに各地を渡り歩く飛行士の一家と、それにとりつかれた新聞記者との異常な交流を描いた、フォークナー作品中で異様に孤立した作品。それに描かれる飛行士は、サン・テグジュペリのそれとは異なり、けっして高貴な使命感なり、目的をもった英雄的な性格はない。しかし死を賭して生きるという点では、ここに登場する飛行士もまったく同じで、その彼らの性関係の特異さ、無一文の生活にのめり込んでいった名もない記者の態度こそ、意外にそのころのフォークナー自身の秘密を暗示しているのかも知れない。
この「性関係の特異さ」とは、飛行士のロジャーとパラシュート降下士のジャックが、共に一人の女性と懇意にあり、6歳になる息子がどちらの子どもか分からなかったので、サイコロを振ってロジャーが父親であると決めたというエピソードに端的に現れています。これは現在の常識に照らしてもかなり破天荒なものですが、彼らだけでなく、それを書いていた当時のフォークナーも、少なからず死の欲動に憑りつかれていたのでしょう。
フロイトは「生きることは死の欲動との闘いである」と述べていましたが、23日におうし座から数えて「自己解放」を意味する9番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、あらためて生への未練を燃え上がらせていくべし。
悲観的宿命論の斥け方
思い通りにならない現実を前にしたとき、私たちはしばしば苛立ちや不機嫌をまき散らし、大抵他者を巻き込みながら「うまく行くはずもなかった」悲観的な宿命論へと落ちていきます。ただし、哲学者のアランはそうした宿命論に対して次のように釘を差しています。
宿命論によると、かつて存在しなかったものは、存在しえなかった(つまり、運命のうちに存在しえなかった)ことになる。これは後悔を追い払う。(中略)宿命論が後悔を追い払うのは、人ができることをすべて出し尽くした場合にかぎる。
つまり、思い通りにならなかった過去をバネにして行動し続ける限り、宿命論は悲劇的なものではないということで、これは目から鱗でした。そういう意味では、ただいたずらに前を向いて進むばかりでなく、時には思い出したくない過去も含めて現在の自分や未来へと繋げていくことができたとき、人は真の意味で強くなっていけるのかも知れません。
今週のおうし座もまた、そうしたアランの言葉が難なく口をついて出るほどに、今の自分にできることを出し尽くしていきたいものです。
おうし座の今週のキーワード
過去・現在・未来を包含する叙事詩的な感性