おうし座
真の快への歩み
生体におけるホメオスタシス(恒常性)
今週のおうし座は、「憶」のメカニズムのごとし。あるいは、不快要因を探す癖を手放し、「真の快」を追求していこうとするような星回り。
「記憶」とは「憶を記す」という意味ですが、最古の辞書である『説文解字』によれば、この「憶」とは、寒くも暑くもない、空腹でも満腹でもない、そういった過不足ない状態を象ったものとされています。
そこでは温度や胃袋の存在そのものが忘れ去られているわけですが、考えてみれば私たちの人生というのは、腹ペコにご馳走、苦労の後の喜びといった具合に、つねに先行する「不快」を覆すべく「快」へと至る過程にあるのだと言え、にも関わらず、あれが足りないこれが満たされていないと不快要因を探すことが癖となってしまっているのではないでしょうか。
とはいえ、生理学的には、私たちの肉体は血糖の平衡状態を保証する拮抗的な内分泌系のはたらきによって極端な「快」と「不快」は抑えられているはずであり、人類の歴史というのはこれを日常生活に応用するべく、暑くなれば上着をぬぎ、寒くなれば下着を重ねるという原始的な方法から、冷暖房完備などの近代的装備を施すようになるまで、「憶」を求めて歩み続けてきたのだとも言えます。
その意味で、24日におうし座から数えて「継承」を意味する8番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、まさにそうした生活史の変遷に従うべく、「憶、憶、憶…」の連続をみずからの日常において実現させていくことがテーマとなっていきそうです。
受け継がれるべきもの
現代社会が失ってしまったものの1つに、わらべ唄があります。子どものために歌う、子ども用の唄で、その多くは親から子へ、祖父母から孫へと伝えられてきたものでした。
例えば、子どもたちが学校の休み時間に「せっせっせ」をしたり、道で「通りゃんせ通りゃんせ」をしたり、「鬼ごっこ」をする。そんな光景は、もはや日本中どこを歩いても見かけることはほとんどありません。さらに言えば、古い子守歌を歌える母親ももはやかなりの少数派になってしまったのではないでしょうか。日本の子守唄の中で、おそらく最もよく知られた曲は江戸子守唄の1つをここに引用してみましょう。
ねんねんころりよ/おころりよ/ぼうやのお守りはどこへいた/あの山越えて里へいた/里のお土産(みや)に何もろた/でんでん太鼓に笙(しょう)の笛/貰うてやるからねんねしな
母親がうたう子守歌を聞くとき、幼い子どもの心には、はるかな山を越えたところにある、笛や太鼓の音色が聞こえてくるような小さなお里が浮かんでいたはず。
今週のおうし座もまた、そんな大人になった今ではすっかり忘れてしまっていた「憶」の感覚がうっすらと甦ってくるような場面に不意に直面していくことになるかも知れません。
おうし座の今週のキーワード
連綿と受け継がれてきたものとしての生命