おうし座
あっけらかんと
頭蓋の換気
今週のおうし座は、『過ちは過ちとして爽やかに』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、49%の後ろ向きさに51%の前向きさを交えていこうとするような星回り。
誰かの「過ち」が発見されると、いっせいにネットで炎上して袋叩きにされたり、ログに残されていつまでも繰り返しネタにされたりと、日本社会も昨今ずいぶん鬱々とした様相が色濃くなってきました。その点、掲句からはそんな日本社会の暗く湿った精神性を、スッと突き放し、ぬぐい去ろうとする確かな意志のようなものが感じられるはず。
前半の「過ちは過ちとして」では、反省すべきことや後悔の念などがいまだなまなましく脳裏に残っていることを認めつつも、それでも前を向いていけたらという願いが込められています。そして「爽やか」は快い秋の気候をあらわす季語であり、やはり“きれいさっぱりに”といったニュアンスはありませんが、近視眼的な勧善懲悪や善悪二元論を超えたところでさりげなく吹いている秋の涼風が頭蓋を換気していくかのようです。
この句は1942年、作者69歳のときの作品ですが、もしかしたらその前年の年末、大政翼賛会の肝いりで開催された文学者愛国大会で、宣戦の大詔を奉読するなど活動をしたことに対する複雑な思いが影響していたのかも知れません。
9月23日におうし座から数えて「調整」を意味する6番目のてんびん座に太陽が入座する(秋分)今週のあなたもまた、ついつい状況に流されがちな思考や行動を改めて見直し、自分本来の美学に立ち返っていきたいところです。
よろこびと苦しみの混淆
よろこびと、苦しみとが、同じぐらいの感謝の思いを生じさせるならば、神への愛は、純粋である
これは34歳で夭逝した思想家シモーヌ・ヴェイユの言葉ですが、おそらく「神への愛」のところを、「人生に対する覚悟」の純粋さに置き換えても、同じことが言えるのではないでしょうか。
表現の中に自分の本音をあっけらかんと込めていくことを、「赤裸々」などと言いますが、覚悟をもって何かを書くという行為も、本来おそらくヴェイユくらい赤裸々でなければ難しいのではないかと思います。
ただ一方で、私たちは掲句の作者のように「過ちは過ちとして」と自分の経てきた苦しみを認めつつ、「爽やかに」と続けることで「同じくらいの感謝の思い」を生じさせることもできるのではないでしょうか。
願わくば、今週のおうし座のあなたもまた、彼らのように自分に正直に、そして誇り高くあらんことを。
おうし座の今週のキーワード
苦しみにひかりをあてる