おうし座
あなた誰?アボリジニ?
真実味を求めて
今週のおうし座は、『失われた時を求めて』第二篇第二部「土地の名―土地」のなかで語られる「三本の樹」のごとし。すなわち、自分自身で喜びの現実を創り出していこうとするような星回り。
語り手は祖母とその友人であるヴィルパリジス侯爵夫人と3人で、夫人の馬車に乗ってバルベック郊外を散策していたところ、偶然に三本の樹を見かけ、いま現に自分の見ているそれらの樹々が「初めて眼にしたのではない、どこかで既に親しんだ光景に違いない」と不意に感じます。
そして<私>は「ある深い幸福感でいっぱいに」なる。「だから私の精神は、遠い過去のある年と現在の瞬間とのあいだによろめき、そのためにバルベック近郊の風景もくらくらゆらめいて、私はこの散策全体が一つの虚構にほかならないのではないか、と自分に問うたほど」であるという。
しかし、語り手はどうしても目の前の樹々をいつ、どこで見たのか思い出せない。あるいは、一度も見たことはなかったにも関わらず、これら三本の樹は「不可解で捉えがたい意味」を秘めているに違いないと直感したために、そこに「ある何かの記憶が潜んでいる」と信じたのかもしれない。ひとつだけ確かなのは、三本の樹から受けた「印象」がなにかしら言いようのない「真実」を秘めており、それのみが「私をほんとうに幸福にしてくれるはずだ」と感じたこと。
8月5日におうし座から数えて「対象との決定的な関わり」を意味する7番目のさそり座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、「ただ予感されただけに過ぎぬ喜び」にしっかりと自分を結びつけていくことで初めて人は真の生を開始できるのだ、ということを思い知っていくことができるかも知れません。
ディープ・ドリーム
オーストラリアの先住民であるアボリジニにとって、「夢」は現実をはるかに凌駕する神話的で神聖な領域であり、彼らにとって「現実」とは、大地の奥深く潜んでいる「夢」の世界に、形が与えられていくプロセスに他ならないのだと考えられています。
文化人類学者たちが採集したエピソードの中には、夢の中で隣人を殺した村人が、次の日その出来事を村長に告白し、その村人が隣人に対する償いを命じられたというものもある。これはすなわち、夢は現実と等価どころか、夢の世界こそが真実であり、より重視されるという彼らの世界観を浮き彫りにしてくれています。
夢についてはこれまでも多くの言説が展開されてきましたが、それは睡眠中の脳の働きから夢の機能を分析するものだったり、夢は現実を生み出す要素であったりするもの、連綿と継承された太古の神聖に帰属するとした見解、そして願望や深層心理といった物語的世界に収斂されるなど、じつにさまざまです。
ただ、夢を語るということは、その時点ですでに「現実」を織りなしている多彩な制度的な規範に則っているために、私たちは実際に自分の見た夢をありのままに客観化できないというジレンマに陥ってしまうのです。その意味で今週のおうし座もまた、先ほどのアボリジニたちのように、自分が現に生きている現実に先行している夢へと意識の焦点をずらしてみるといいかも知れません。
おうし座の今週のキーワード
浅い夢から深い夢への目覚め