おうし座
メタモルフォーゼ
庭へ入っていく「私」の不思議
今週のおうし座は、T・S・エリオットの詩「プルーフロックの恋歌」の一節のごとし。あるいは、「私」であって「私」を超えた静かな変態を為していこうとするような星回り。
小鳥の声に誘われ、促され、そこに響いているはずの「他のこだま」を探し求めて、私は庭へと入っていく。そのとき、不意に空っぽのコンクリートの池に太陽の光線が降りそそぎ……
そして池は日光のためにできた幻の水で溢れていた
すると蓮は静かに 静かに浮かび上がった
水面は光の中心になってきらめいた
そして彼らはわれわれの後にいた 池に反射しながら
やがて一片の雲が過ぎた 池は空っぽになった
行け と小鳥がいった 葉の茂みは子供たちでいっぱいだから
感動しながら隠れ 笑いを殺している
実際、誰がこんなふうに庭に入っていったのか、詩では明らかにされていませんが、冒頭1行目が「それでは行ってみようか、君も僕も」とありますから、それは匿名の複数形であり、相手が男か女かも分からないし、そもそも本当にいるのかも分からりません。ただ、「静かに 静かに」蓮が浮かんでくるように、ここでは言葉によって虚構の世界が生々しい手応えをもって立ち現れてくるのです。
18日におうし座から数えて「生まれ変わり」を意味する5番目のおとめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、1つの内面と五感を備えた軽快なリズムによる移動を通して、いかにも自然に新しい風景を創り出していくことになるでしょう。
ありのままの現実とのぞましい現実
「メタモルフォーゼ」は、オカルティズムの用語では「イニシエーション(通過儀礼)」へと置き換えられます。なんて言うと、なんだか堅苦しく聞こえるかも知れませんが、実際には人の手によって創作された詩や音楽や小説のほとんどは、完成度の違いはあれど作者が自分を変えるために創った何らかの「イニシエーション」の残滓なのです。
つまり、すべての創作者は文字や歌の中に「のぞましい現実」への足がかりを見出そうとしているのであり、創作以前と以後とで変態(メタモルフォーゼ)を遂げるための背景変換の儀式遂行こそが創作の本質なのです。その意味で、まだエリオットが22歳の頃につくられた先の詩も、彼なりのイニシエーションだったのだと言えるでしょう。
あなたが産み出し、創ろうとしている世界は一体どんなものなのか、エリオットがかつてそうしたように、今週はまずそのディテールから考えてみるといいかも知れません。
おうし座の今週のキーワード
背景に「私」をさりげなく滑りこませる