おうし座
死んでも死なないものがある
死後存続という伝統観念
今週のおうし座は、日本における死想の系譜のごとし。あるいは、目に見えない身体の一部となっていくような星回り。
「メメント・モリ(死を想え)」などと偉そうに言われずとも、日本人は欧米のキリスト教信徒らとは異なり、伝統的に死者を忘れない精神文化を擁してきました。たとえば、日本では昔の人はみな「神(仏さん)」になるのであり、生きている者たちのあいだだけでなく死者たちとも、肉体や魂を超えた精神的連続性を維持してきたのです。
そこで重要となってくるのは、故人が忘れられないで祭られ続けることであり、先人とその後に続く者の連続性を信じることこそが死者の存在証明に他ならなかったということ。
例え、目には見えず分かりやすく存在しなくても、そこにあたかも存在しているかのように私たち自身が扱い、振る舞うことで、私たちは民族史上の死後存続、日本人という有機的共同体の一細胞としての実感を得ることができたのではないでしょうか。
ただ、そうした感受性の在り方も、身体のサイボーグ化や精神のデジタル化がすすみ、生と死の境界線がますます曖昧になってきている現代社会においては、次第にうしなわれてきてしまっているように思います。
7月2日におうし座から数えて「目に見えないけれど大切なもの」を意味する12番目のおひつじ座で下弦の月を迎えていくあなたもまた、自身の隠された連続性を改めて感じ直していくことになるでしょう。
ある呪詛について
例えば、中上健次が二十歳そこそこの頃に書いた「故郷を葬る歌」という七十七行におよぶ詩のなかには、次のような言葉が並んでいます。
「母千里を殺せ
父、七郎を殺せ、留造を殺せ
姉、鈴枝を殺せ、静代を殺せ、君代を殺せ
熊野よ、わがみくそもじよ
わが町、春日を燃やせ、野田を燃やせ
わが連潯にしるされたもろもろを
呪え」
ここに出てくる固有名詞は、実在する作者の血縁の者の名前と同一であり、その意味でもあきらかに異常としか言いようのない詩行です。しかし、「殺せ」とか「燃やせ」などと書けば書くほど、その禍々しい見た目とは裏腹に、乳飲み子のようにまっすぐに愛を求める作者のナマの欲動が見えてくるはず。
いや、そこは誰がなんと言おうと、少なくとも自分にはそう見えたし、それは私の欲した言葉でもあるのだ、と。今週のあなたもまたそれくらいのつもりで過ごしてみてはいかがでしょうか。
おうし座の今週のキーワード
浸るべき影響に思いきり浴していくこと