おうし座
企てながら、投げ込まれ
舞台における役者
今週のおうし座は、ハイデッガーの「被投的投企」という概念のごとし。あるいは、過去の足跡から未来の方向性が開けていくような星回り。
例えば、舞台上の役者を想像してみてください。場面、場面で何をどう演じればいいのか、その役者の一挙手一投足が可能になるのは、当たり前のことではありますが、まずは既にある特定の舞台劇に出演してしまっているからです。
この自由意志とは関係なく、否応なしに既に舞台世界に投げ込まれ、演技してしまう側面をハイデッガーは「被投性」と呼び、一方で、舞台上のもろもろの文脈や約束事を暗黙裡に察知して、仕事を企て、用務を果たしていくことを「投企」とか「企投」と呼んで、役柄を舞台世界に即しながら演じ込んでいく在り方を「被投的投企」と呼んだのです。
むろん、どこかで「これは単なるお芝居さ」などという想いがよぎれば、一気に足は止まり、セリフは出なくなります。つまり、被投的投企を続けていくためには、必ず「これはお芝居である」という覚醒を抑えるだけの<眠り>が必要になってくる。
23日に太陽がさそり座に入ると同時に、おうし座から数えて「社会的役割」を意味する10番目のみずがめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたは、どうもそうした<眠り>がより深く強くなっていく傾向にあるようです。
いつか終わりのくる熱演の時間ですが、いかにそこへ入り込んでいけるか、俳優としての真価が問われてくるタイミングと言えるでしょう。
市場における商品
舞台の上の役者というのは、どこかで市場に並ぶ商品に似ています。例えば、中世において市場が世俗との縁の切れた「無縁」の場とされてきたこととも繋がってきますが、それは市場が自然と人間社会との境目にあり、神仏の世界に近接した場であっただけではなく、人々が自らの生産物をそうした人の力をこえた「聖なる場」に投げこむことによって、それを「商品」としたからでもありました。
そして商品の「価値」を表示し、それ自体が商品交換の手段としての機能を果たした「貨幣」は、やはり神仏に捧げられ、世俗の人間関係から完全に切れた「無縁」の極致でなければならなかったのです。
このように商業などの経済活動はきわめて古くから、人の力を超えた「聖なる世界」や「神仏」と深く関わりながら展開されてきた訳ですが、今週のおうし座もまた、さながら資本主義の源流にさかのぼるようにして、みずからをひとつの「商品」にしていこうという心の働きが力強く湧いてくるはず。
ただし、それは単なる消費の対象としての商品なのではなく、あくまで神仏のものであり、神仏のためという名目で用いられた捧げものとしての「商品」なのだということを、よく胸に刻んでおくべし。
今週のキーワード
俳優的自由