おうし座
透明な風が吹き抜ける
蛇笏絶唱
今週のおうし座は、「誰彼もあらず一天自尊の秋」(飯田蛇笏)という句のごとし。あるいは、精神的純度をどこまでも澄ましていくような星回り。
作者の生涯最後の一句。父の後を継いで俳人となった四男の飯田龍太は、掲句の句意について次のように明らかにしてくれています。
季節はいままさしく秋爽。たまたまこの世にえにしありともがらよ、ひとの生死のはかなさよりも、おのがじし尊ぶべきものは何であったか、それをこそ互いにもとめようではないか
三人の息子を戦争や病いで次々と亡くし、悲嘆にくれる日々を生き延びつつ、ますます円熟味を増していった作者晩年の境地を見事に言い切った一句と言えます。
同時に、「誰彼もあらず」とあるように、これは自分のことだけを言っているのではなく、広く目線を遠くに投げやって、この世に生きる「ともがら」すべてに語りかけている訳ですが、秋の澄んだ空気の中に立っていると、そんな作者の声さえ聞こえてきそうです。
9月2日におうし座から数えて「境界線に立つこと」を意味する11番目のうお座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、夏の暑さや疲れを振り払うように自身の心に透明な秋風が吹きぬけていくのを感じることができるはず。
自然人と内なる自然
「自然体」と私たちはつい簡単に口にしてしまいますが、もちろんそれは「内なる自然」の発見や、「自然人」となることとセットになっている、という文脈も見逃してはならないものです。
内なる自然の発見とは、つまり既存の社会常識や植えつけられた価値観と対立してはいるが、その一方でごく自然なことのようにも思える感情や行動や本能を垣間見ていくこと。
さらに「自然人」とは、必ずしも人里離れた山奥や森の中に住んだり、昔ながらの生活している人のことではなくて、わかりきったものとされているものや、自明のものの中に、新鮮な印象や味わいを発見したり、自分のしている営みの中に畏怖や心の底からの親しみを見出せる人のことを指しています。
おそらく冒頭の句や、あるいはホラティウスの有名な「Carpe diem(カルペ・ディエム/この日を掴め)」という言葉もまた、そうした「自然人」的な営み、ないし「内なる自然の発見」が放った一瞬を切り取った奇跡の1枚のことなのでしょう。
心に波立つ体験のなかで、どうか満たされていく幸せを感じとってみてください。
今週のキーワード
自然体でいること