おうし座
配合とずらし
配合が生む詩情
今週のおうし座は、「ロダンの首泰山木は花得たり」(角川源義)という句のごとし。あるいは、慣れ親しんできた実感をまったく異質に見えるものへと置き換えていくような星回り。
モクレンを一回り大きくしたような白い花を、樹上で壮麗に咲かせる泰山木(タイサンボク)は梅雨空がよく似合う花で、花びら1枚1枚が片手の手のひらほどもあるせいか、その存在感はひときわ目を惹くものがあります。
掲句はそんな豪奢なる泰山木に、ロダンが彫刻した大理石像の首を連想したのでしょうか。一見、無関係な事物を組み合わせることで思いがけない詩情を生みだす技法のことを「配合」と言いますが、これはその典型。
泰山木のやさしげな芳香も、まるで生きた人間そのもののごとく彫り出された像から漏れた色香のように感じられたのかも知れません。
こういう句と直面すると、本当の新しさとは決してただ目新しいことを言うのではなく、どれだけ時代を経ても古くならないことのうちにあって、人間がそれに気付くのをじっと待ち続けてくれているような、そんな気がしてきます。
21日におうし座から数えて「リアリティの拡張」を意味する3番目のかに座で先月に続き2度目の新月を迎えていく今週のあなたもまた、いかに自分自身を軽やかに刷新していくことができるかがテーマとなっていくでしょう。
「住する所なき」
世阿弥が完成させたと言われる能は、現在からみれば伝統芸術ですが、実際に世阿弥が生きた時代においては目まぐるしく変わっていく最中にあった「現在の芸術」であり、今そこで作られつつあるものでした。
珍しさが求められ、新しさが観客の関心のまとであり、毎回公演ごとに変化していくことこそが芸術の価値でした。
その意味で、例えば彼の遺した「住する所なきを、まず花と知るべし」という言葉の「住する所なき」とは、住居のことではなくて、「同じ所にとどまり続けることなく」の意味。すなわち自己模倣のうちに同じことを繰り返す惰性の人生のことを指し、そうした惰性の罠から脱け出していくことが「花」=芸術の中心であると言っている訳です。
今週のおうし座のテーマを言い換えれば、これまでの自分のままでやっていこうとする「住する」の精神をどこかで捨て、卒業していくということでもあります。
世阿弥の言葉は厳しいですが、今こそ耳を傾けていきたいところ。
今週のキーワード
花=現在進行形の芸術