おうし座
自分で自分を癒していくこと
もう一人のマリア像
今週のおうし座は、「マリヤの胸にくれなゐの乳頭点じたるかなしみふかき絵をさりかねつ」(葛原妙子)という歌のごとし。あるいは、心のどこかで感じていた妖しい感触が、ふいに具現化されていくような星回り。
昭和28年の作。キリスト教では、聖母マリアを性的に見ることはタブーであり、絵の場合、一般的には乳房は衣に包まれていなければならないとされています。ただ、「授乳のマリア」という題材自体は16世紀にはよく描かれていたようで、作者もそのうちの一枚を目にしたのかも知れません。
作者は絵の前を「去りがたい」と感じるほどに、そこに自身のかなしみを重ねている訳ですが、何がそんなに悲しいのか。それはマリアが‟性的である”という人間としての在るべき本性さえ禁じられ、<聖母>という記号の枠内に押し込められているからに他ならないでしょう。
前衛短歌の雄・塚本邦雄をして、「幻視の女王」と言わしめた作者には、おそらく目の前に描かれてあるマリアの奥に、もう一人の人間・マリアの像が浮かんでいたはず。
12日(火)におうし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、今年の5月5日のおうし座新月からの半年間を振り返りつつ、自身がどれだけ人間としての在るべき本性を解禁しつつあるのか、改めて実感していくことになりそうです。
業病と自由
それは前世の報いか、それが自分というどうしようもない存在の証しなのか。
いずれにせよ、なぜ抱え込んでしまったのか人に上手く説明できず、自分でもいまだ納得できないような厄介なものを、「業病」と言い表すことがありますが、マリアにとっては<聖母>もまた業病のようなものだったのかも知れません。
実際、それは逃れようとしても逃れられない病気のようなもので、治す治療法も薬もなく、それをそれとして受け入れ、なんとか付き合っていくしかありません。ただそれはそれとして、しばし業病を脇において別のことに没頭したり、背を向けていく自由が与えられているのも人間であるはず。
マリアが性的であるということもまた、そうした自由な人間を生きることに他なりません。
業病を抱えつつも、それをどうにか切り抜けて、生きようとしている。
きっと作者は、そうした誰にも描かれていないマリアをこそ、自分の脳内に思い浮かべ、そうして秘かに癒されていたのでないでしょうか。
今週のキーワード
自業自得