おうし座
よみがえってくるもの
忘却もまた記憶を愛する
今週のおうし座は、異様な時空に入り込む生者のごとし。あるいは、「僕たちは罌粟(けし)と記憶のように愛しあう」というパウル・ツェランの詩の一節のような星回り。
強制収容所を生き延びたツェランという詩人の第二詩集には「罌粟と記憶」という表題が与えられ、さらにこの言葉の組み合わせは「コロナ」という詩の中で、恋人たちの直喩として次のように立ち現れました。
「僕たちは罌粟と記憶のように愛しあう」
記憶の喪失ないし忘却と死はわかちがたく結びついていますが、「罌粟」すなわち忘却と記憶とが、恋人たちに喩えられ、互いに惹きつけられるとは、一体どういうことなのでしょうか。
暗い過去を宿した記憶が忘却を愛するということだけならば、まだ分かる。けれど、忘却が記憶を愛するということを、どう理解すればいいのか。
忘却とは過去の不在であり、記憶は過去の現在可能性とすれば、「忘却も記憶を愛する」とは、忘れ去られた過去もまた時どき思い起こされることを欲しているということなのか。
いずれにせよ、両者を媒介しているのは「不在」すなわち広義の意味での「死者」だろう。
時が熟する時というのは、生者が異様な時空に入り込むだけでなく、死者もまた甦るのだ。
では「死者」とは一体誰なのか。それこそが、おうし座のあなたが今こそ問うべき問いなのだと言えるでしょう。
緊張と弛緩を織り交ぜる
しばらく解答の分からないウズウズしていた状態から、「ああ、そうか!」というひらめきの快感と弛緩が訪れることを「アハ体験」と言います。
よく知られた実験では、自分の頭の中に腫瘍があるとして、それを取り除く方法について思いついたことをすべて口に出し続けてもらう、ということをします。そして発言に対してその都度、「それだとこういうリスクがあるのでは?」と切り返して、真剣に考えてもらい、ウズウズ状態を作り出します。
すると、多くの被験者において、論理を飛躍して突然、「外からレーザーを一点に集中させて取り除く」といった結論(現在の最先端の医療技術の発想と重なるもの)を思いつくことがあるのだそうです。
大抵はなぜそんな結論が出てきたのかは分からない。けれどひらめきとは、そうした通常の思考の流れを一足飛びに超えるところからしか生まれてこないものです。
今週はウズウズできそうな問題やきっかけがやってきたら、積極的にそこにハマり込んでみるのもいいかもしれません。
今週のキーワード
死者の来訪