おうし座
垢抜けと洗練
どこへ「ぬける」か
今週のおうし座は、「淋しさの底ぬけてふるみぞれかな」(内藤丈草)という句のごとし。あるいは、ほんとうの意味で垢抜けていくために必要な儀式をすませていくような星回り。
江戸時代版の『孤独のすすめ』(五木寛之)みたいな句ですが、ここでは「ぬける」という言葉に特に注目していきましょう。
「ぬける」という言葉は、場や集団から「外れる・逃れる」という意味や、「足りない」といった意味の他に、突き通って向こう側へと出ていったり広がっていく「透き通る・移る」などの意味があります。
そして今週のあなたは、この3番目の意味での「ぬける」ということをいかにやっていくかということがテーマとなっていくのだと言えるでしょう。
つまり、孤独というのも“その先”があるのです。
ついでに言えば「みぞれ」は、なかなかやまない雪まじりの冷たい冬の雨。「ふる」はおそらく、そんな雨が物理的に「降る」という現象的把握と、そんな雨もいつかはやんで「経る」ことができるという認識とのダブルミーニング。
どちらか一方だけでは、“垢抜け”の儀式は成立しないのだということを、よくよく胸に刻んでおくことです。
「中空構造」をもつ
ユング心理学者の河合隼雄さんは「日本社会というのは心理的には中空構造なんだ」ということを本に書いていました。
しかしこの「中空」というのはなかなかつかまえにくい概念で、何にもない「ナッシング」や「ボイド」かと思えば、社会と繋がって現に存在している以上「ビーイング」であり、それだけでなく、そこから何がしかが有意義なものが生まれてきたり、湧いてきたりする「ビカミング」でもある。
つまり、社会の中で確固とした価値を追求して遡っていこうとしても、唯一の人物だとか無二の教えだとか、そういう実体的なエビデンスに突き当たらない。どこかで必ず、何もない向こう側に突き抜けてしまうということ。
そしてそれは、個人の人生だとか、人としての在り方について考えていく上でも事情は同じなんじゃないかな、と。
「垢抜ける」ということは、どこかでそういう「中空」の多義性を自分事として実感していくということでもあるように思います。
自分や人生の、実体としての側面に囚われなくなっていくと言いますか。今週は、そういうプロセスを少しでも身をもって感じてみてください。
今週のキーワード
実徳をかくして外相飾らず