おうし座
生活と芸術の両立
生活の制作
今週のおうし座は、哲学研究者ではなく哲学者としての本分をまっとうする人間のごとし。あるいは、単純に静かに生きていくことを何よりも尊重していこうとするような星回り。
哲学者の本分ということについて、例えばニーチェは『反時代的考察』(小倉志祥訳、ちくま学芸文庫)のなかで次のように述べています。
「私は哲学者というものの偉さを、彼が実例を示すことのできる程度に応じて認める。……しかし、実例はたんに書物によってのみではなく、眼に見える生活によって与えられなくてはならず、したがってギリシャの哲学者たちが教えたように、語ったりあるいは書いたりすることなどによるよりも、容貌・態度・服装・食事・習慣によって与えられなくてはならない。」
ここでニーチェは「眼に見える生活」を清廉潔白で誰からも尊敬されるような立派なものにせよ、と言っている訳ではありません(実際、彼自身の生活も決して品行方正とは言い難いものでした)。
そうではなくて、哲学者たるものまず自分の日常生活の細部にこそ目を向けていくべきであり、何かを語るとすればそれに沿った「血の言葉」でもって語れ。それ以外はウソだ、と言っている。
同様に、おうし座の人たちにとって最高の芸術作品とは彼らの生活であって、書物でもなければ、うわべだけ耳障りよくコーディネートされたPR文でもないのだということを、今週は思い出していくことになるでしょう。
悲しき訓戒
実のある生活を作っていく上で、最も気をつけなければならないのは、「時間の搾取」でしょう。
誰かの突発的な気まぐれや、尽くすべきでない対象からの命令に付き合って自分の時間を潰すようなお人好しであることは、生活を芸術作品にすることと対極的な態度なのです。
例えば、哲学者であると同時に生涯にわたって政治家でもあった古代ギリシアのセネカは、次のような言葉を遺しています。
「ルキリウス君。きみはこうしたらよろしいでしょう―自分自身のために自分を自由にし、いままでにきみから奪い去られ、盗み取られ、あるいは逃げ去った時間を拾い集め、それを守ることです。」
おそらくこれはセネカが自分自身へ向けた戒めでもあったのでしょう。ただ、晩年の皇帝ネロとの因縁を鑑みる限りでは、彼がその戒めを守れたかどうかは疑わしいですが。
今週のキーワード
単純に、静かに