
さそり座
微笑の伝染
誰かと共にいる感じ
今週のさそり座は、「いい居酒屋」の条件のごとし。あるいは、無意識のうちに微笑が伝染していくような場や関係性をおのずと求めていくような星回り。
効率化や合理化が進んだところに社会に余裕がなくなって、一気に人間の価値が生産性によって判断される度合いが高まれば、自然と余暇は消費へと歪曲され、ひとりひとり異なる背景をもっているはずの個人も単なる顧客としか扱われなくなる。
そうした流れはなにも昨今の社会に限った話ではなく、第二次大戦後のアメリカ社会などでも問題視されましたが、そこで注目されたのは人との緩やかな繋がりを感じられる、家庭でも職場でもない第三の場=居心地のよい交流場でした。
アメリカ出身の日本文化研究者マイク・モラスキーの『呑めば、都:居酒屋の東京』は、赤羽や西荻窪などでの自身の呑み歩き体験をもとに、都会生活における居酒屋の日本独特の役割について言及されており、特に「居酒屋は、味より人」であり、「ひとりで立ち寄っても、誰かと共にいる感じがして、楽しく呑めるのがよい店だ」という主張が何度も繰り返し登場します。
美味い酒と肴ならウーバーや自炊でいくらでも代用できますが、強制された訳でもなく自然と集まった常連たちが、互いにノリや発言を読みあうことで醸成されるその店独自の<空気>は、居酒屋でしか経験できないものでしょう。
例えばモラスキーは、自分が本の中で取り上げたような「いい居酒屋」では、例えば常連客の来店時に店主が発する「きょうは恵まれないなぁ」といった皮肉や婉曲の混じったことば遊びのやりとり(この場合は「来てくれてうれしい」という気持ちの裏返し)が、ほとんど無意識的に行われたり、客同士で伝染していく場面を何度も目にしたし、店によってはそれがある種の「慣習」にもなっているのだと指摘していました。
確かに、そうした思わず微笑したくなるようなコミュニケーションほど、「生産性」や「市場価値」といった息苦しい文脈から私たちを解放させてくれるものはないのかも知れません。
10月30日のさそり座から数えて「心の支え」を意味する4番目のみずがめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、モラスキーの「いい居酒屋」や「楽しく呑める」に相当するような、自分が気持ちよく透明になれる場や関係性について、改めて振り返ってみるといいでしょう。
個人と集合の境界を開いていく
例えば、赤提灯であれ裸電球であれ、光というのはまず光の発生源からの放射される光線としてある訳ですが、この時点ではカメレオンでもない限り放射光を利用することはできません。
放射光が環境の表面から表面へと終わることなく跳ね返りつづけ、環境中が散乱する光によって埋めつくされて、交差する光線の集まるところが幾つも幾つもできるとき、私たちはそこで初めて環境が「照明」されていると感じ、それは「光のネットワーク」に包囲されているのだとも言えます。
アメリカの心理学者ジェームズ・ギブスンは、そうして「照明」という事実を「光の集まりの束とその集合」として考えることで、「見る」ということが、ひとりの知覚者に限られた一回きりの出来事として起こり、他の誰にも共有できないことだという常識を打ち破ろうとしました。
つまり、「見え」の根拠は私たちの眼や頭の中にあるのではなくて、照明の構造の方にこそあって、私たちはその中を動き回ってそこにあらわれる情報を探ることで、他者といつでも知覚や意味を共有できる可能性が、これまでも永続的に残されてきたのだと。
今週のさそり座もまた、自分が参加することを今もなお待っていてくれている何らかのネットワークや情報の引き出し先に改めて繋がっていくこと、そこに開かれていくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のキーワード
存在のどんなレベルにおいても、人は決して一人ではないことを理解すること。







