
さそり座
島国根性でいく

ちょうどいいふれあいを求めて
今週のさそり座は、「融合的なまなざし」の挿入ないし追補のごとし。あるいは、相互に情報を拾い合い、影響を与えあう関係へと塩梅を調節していこうとするような星回り。
脳性まひ当事者で小児科医の熊谷晋一郎は、子どもの頃に体験した脳性まひのリハビリでのトレイナーとのやりとりを振り返りつつ「ほどきつつ拾い合う関係」という言葉を使っています。少し長いですが引用してみます。
ほどきつつ拾い合う関係において、たとえばトレイナーが私の腕を伸ばすとき、トレイナーの「腕を引っ張る」という動きと、私の「腕がのびる」という動きはセットになっている。ここで、「腕を引っ張るが能動的運動で、「腕が伸びる」というのは能動的運動によって引き起こされた受動的運動のように思われがちである。それは間違いではないけれど、それほど単純でもない。
トレイナーは、私の腕の伸びぐあいや筋肉の張りを感受しながら、「腕を引っ張る」力の強さを調節しているのであって、そういう意味では、私の「腕が伸びる」が能動的で、トレイナーの「腕を引っ張る」が受動的ともみなしうるのだ。このように、私の腕の動きとトレイナーの腕の動きとのあいだには、相互に情報を拾い合い、影響を与えあう関係が、ある程度成立している。(『リハビリの夜』)
ここでのやりとりは能動と受動が曖昧になっていることに特徴があり、熊谷は「自分の体とトレイナーの体が融合してくる」とも言います(「ほどきつつ」)。
こうして調和が目指されているときに、互いが相手の身体に入り込みあい、まなざしを二人が共有することになる。このような、つながりつつある二人が共有する「一つの対象に向かう複眼的まなざし」を、「融合的なまなざし」と呼ぶことにしようと思う。このまなざしは、私一人の身体やそこからの単眼的な視点に収まっていないという意味で、客観性を備えていると言える。
一体化ではなく、融合的であるということ。そこには変化する相手の体の状態を聞き取ろうとする、つまり、「拾い合う」姿勢があり、その限りにおいて一時的に「ほどける」余地が生じていく。ゆえに、完全にひとつに混ざりきることなく、それでいて二者間の関係も無理なく、自然体で持続していくことができるのではないでしょうか。
4月18日にさそり座から数えて「母親との関係」を意味する10番目のしし座へと火星が移っていく今週のあなたもまた、ともすると一方的かつ暴力的な関係に陥りやすい目上の相手とのやり取りに注意を向けていきたいところです。
おだやかな海に島ふたつ
思い返すと十数年前の東日本大震災の後、日本社会ではやたらと「絆」という言葉が使われ、取り上げられたことがありました。しかし、そうして上から横から強制的に押しつけられた時に、これほど嫌な言葉も他にないのではないでしょうか。
なぜこれほどまでに嫌悪を感じるのかを考えてみると、絆というものが多分に陸地的な発想のものだからかも知れません。
つまり、橋をつくって、孤立した島(人間)同士をがっりちと結んでしまおう、安全な陸地を拡大していこう、と。そうやって明治以降の東京は、わずかに残っていた水路もつぎつぎに暗渠にして、街そのものを巨大なコンクリートのかたまりのようにしてきました。
島のように孤立していたとしても、ときどき行ったり来たりする舟が出ていれば、それで十分じゃないか。そんな海洋民的な発想さえ持てなくなってしまったがゆえに、「絆」というの言葉を陳腐にしか使えなかったのだとも言えます。
その意味で、今週のさそり座もまた、島と島、人と人との間に広がる海を、もう一度発見しなおしていくことが隠れたテーマなのだとも言えるでしょう。
さそり座の今週のキーワード
大陸の論理に対する水脈の感性





