さそり座
神聖なる関係領域
話しあいより黙りあい
今週のさそり座は、『水桶にうなづきあふや瓜茄子(うりなすび)』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、言葉が不要な領域へとすっぽりはまり込んでいくような星回り。
誰かと互いに打ち解けあって、真に和んでいたり、楽しんでいるときというのは、何を話しているのであれ、あまり朗々と言葉を並べるというよりは、かえって言葉少なになるものではないでしょうか。
しかし、相手の仕草や手ぶり一つでおかしくなってしまったり、表情や相槌だけでかなり深いところで通じ合ったりするさまは、本人たちからすればしみじみとしたものであっても、他人から見ればこんな風に滑稽な様子で、笑止千万なのだろうと掲句ではあえて言ってみせている訳です。
実際、これは作者が旧知のお坊さんと再会した時の様子について詠んだもので、2人の坊主頭がこくりこくりとうなづきあっているさまは、水桶に浮かべられた瓜と茄子にそっくりで、さぞや珍妙な光景だったはず。
そこでは、もはや賢しらな言葉の羅列ではなく、水面の揺れや光の反射のような、言葉以前のバイブレーションやまなざしの融合をつうじて、個としての輪郭線が消え去ってしまっていたのでしょう。
6月6日にさそり座から数えて「融解」を意味する8番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、もっと言葉や意識を手放し、今を感じていきたいところです。
黙って、笑わず、真摯に向き合う者
作家の小川洋子さんが、かつて新聞のエッセイのなかで、ある校閲部署を見学したときの印象を「神聖」と表現していたことがありました。
たしかに、ヌードグラビアのキャプションなんかであっても、校閲室ではみなお坊さんのように黙って、笑わず、真摯にゲラを読んでいて、時おり電動鉛筆削りのじょわーっという音が響くばかり。
でも、書き手だけでなくこうして他人の書きものに粛々とツッコミを入れていく校閲者がいてくれるおかげで、売り物としての本のクオリティは保たれ、ひいては文化が文化であり続けることができているのだと思うと、あながち先の印象は単なる印象をこえた、本質をついた鋭い直観であるように思われてきます。
そして、こうした意味での「神聖さ」こそが、現代人が人間関係において失ってしまったものの筆頭なのではないでしょうか。
今週のさそり座は、できるだけ校閲室で仕事に向かう校閲者のごとく、誰か何かと真摯に向き合っていくべし。
さそり座の今週のキーワード
人がその心を打つのは、得体の知れない密度ゆえ