さそり座
丸くなるな過剰であれ
菜の花畑にいる雀
今週のさそり座は、『菜畑に花見顔なる雀かな』(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、普通の人ならなんでもないような光景を見て膝を打っていくような星回り。
雀は、鳥のなかでもどこかしら人間の表情に似ていて、(最近は数は減ってしまったが)どこにでも群れていてチュッチュッと声をあげながら、一面の菜の花畑を見まわしている。掲句は、そんな雀の感じを「花見顔」と呼んでいる訳です。
歌の世界で「花」といえば桜の花のことであり、平安時代の王朝の貴族たちのように優雅に桜のちる様子をながめているシーンが必ずセットに思い浮かばれますが、ここで作者は、田舎くさくていかにも風流など意に介していなそうな雀が、王朝人のような表情をしているというユーモアに思わず膝を打ったのでしょう。
この句は『野ざらし紀行』のなかに、ただ「吟行」とだけ前書きされて出てくる句で、鳥名は意図的に記されていません。これは文化のメインストリームを担う人たちが目にもかけず、歌枕として取り上げる可能性すらなかったような、歴史の教科書どころか地図にも乗らない無名の地でのワンシーンなのです。なぜ作者はそれを取り上げたのか。
作者が追求した俳諧という(当時の)前衛芸術は、庶民の美意識と生活に根づいた思いをこそ活写する言語芸術であり、菜の花畑にいる雀はその格好の題材だったのだと言えます。
4月9日にさそり座から数えて「自分なりの流儀」を意味する6番目のおひつじ座で新月(皆既日食)を迎えていく今週のあなたもまた、たとえ前例になかったり、時流にのったやり方ではなくても、自分なりにこれだと思った道をどこまでも貫いていくべし。
割りきったらそこでおしまい
自然に存在するものを人間が誠実に表現しようとすると、そこには必ず過剰なまでの余剰部分が出てくるものです。
例えば、「まるい」ということを表すためには、円周率の小数点以下に永遠に割り切れないまま数を羅列させ続けねばなりません(有理数ではなく無理数になる)。それは自己中心的で破壊的な、無明の中に閉じていこうとする力への洗練された抵抗であり、そうした抵抗によってなんとか確保された余剰部分こそが再びまた、新たな形で「自然」を規定していくのです。
逆に、もし円周率を“3”にしてしまったら、世界はその美しさを半減させ、人々の想像力は急速に退化していくことでしょう。だとすれば、自分をまだまだ予測不可能で、創造の過程にあるものにしたいなら、円周率が割り切れない数字を打ち続けるように、過剰なまでに余剰部分を作り込んでいく必要があるのです。もし今週のさそり座に、何か伝えることがあるとするなら、最後はその一点に尽きるでしょう。
さそり座の今週のキーワード
創造性とは意味不明性