さそり座
何に取り囲まれるべきか
運動ベクトルの変更
今週のさそり座は、「#NOMO」というタグのごとし。あるいは、これまでいた“世の中”から距離を置き、少しずつ離れていこうとするような星回り。
現在のSNSのようなアテンション経済と結びついた情報プラットフォームは、それを日常的に使用している人びとに、ものすごい速度で日々移りゆく世の中や時代に取り残されること(“オワコン”になること)への恐れを植えつけており、その影響は知らず知らずのうちに私たちの判断基準を狂わせ続けている。
そんな刺激が多すぎるのが当たり前になった世の中に対して、アーティスト・作家のジェニー・オデルはFOMO(fear of missing out、取り残されることへの恐怖)の代わりに、NOMO(the necessity of missing out、取り残されることの必要性)について、それが難しければNOSMO(the necessity of sometimes missing out、時々でも取り残される必要性)について真剣に考えてみてはどうかと提案している。
というのも、電子的に生産される人工的な快楽によってではなく、ただ身体的に感じることのできる大地や空との直接的接触を通してのみ、私たちは周囲に無限に広がっている多次元的宇宙において自らの位置を確かめ、航海する術を学んでいくことができるからだ。
3月4日にさそり座から数えて「自己価値」を意味する2番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分の価値や尊厳を知らず知らずのうちに低下させているものの影響や戦略に、改めて自覚的になっていくべし。
アニミズム的発想
例えば、山形県米沢市には「草木塔(そうもくとう)」という石碑があり、これはもともと江戸時代に米沢藩のお屋敷が火事で焼失した際、山林の木々を大量に伐採するにあたって、樹木の霊を慰めるために作られたものだそうです。
米沢のあたりはエゾ文化が目に見える形で存続した地域で、その木こりたちも「木を切ることは木を殺すことである」という意識を強くもっていたことが伺われます。
日本には各地に包丁や眼鏡などの生活必需品を祭るお墓だったり、家畜の慰霊碑などはたくさんありますが、こうした植物にも動物と同じように心や意識があって、彼らを犠牲にして住む家をつくったり、生きるための燃料にしたりしているのだという物事の見方は、非常に根源的なアニミズム的発想と言えるでしょう。
まず豊かな大地があり、そこから何年も何十年もかけて樹木が育ち、それらを犠牲にしてさらに人間は家を築いて子供を育てていくのであり、したがって切り倒した樹木の霊は他でもない人間こそが植物霊の世界に送り返さなければならないし、少なくとも古代の日本人の一部は連綿とそうして生きてきたのです。
今週のさそり座もまた、普段なら強固に張り巡らせている他者との境界線がゆるまって、自分自身よりもむしろ何か誰かとの繋がりをこそ濃密に感じていけるはず。どうせなら、そこで資本主義的快楽よりもアニミズム的快楽をこそ追っていきたいところです。
さそり座の今週のキーワード
樹木霊