さそり座
身の振り方を考える
「しづかなる命」とは誰か
今週のさそり座は、『福寿草見てしづかなる命かな』(清原枴童)という句のごとし。あるいは、誰かのさびしい後ろ姿を目で追っていくような星回り。
福寿草は「元日草」という別名でも知られるように、古くから元日に小さく黄色い花が咲くように栽培されてきた。この句では、そんな福寿草を見ている作者も、どこか小さくなって微笑んでいるかのような印象を受ける。
動かなければ、そこには音もないのだろう。なんとなく、そんな気もしてくる。がらんとした無音の空間が広がるなかに、ただ小さな福寿草の花だけがあり、これが命なのだという感慨が、次第に胸の内で高まってくる。
けれど、それは全身を震わせるような熱い血潮を伴う感慨というよりは、老年の枯れた淋しいつぶやきを伴った感慨であり、「しづかなる命」とはおそらく作者自身のことだろう。
時代の趨勢を考えれば、今や「父なるもの」や家父長制ということも、永遠に悲壮な存在、ないし弱者としての「しづかなる命」に値するが、だとすれば、ちゃんと淋しく枯れていくこともまた人としての美学なのかも知れない。
1月4日にさそり座から数えて「失われていくもの」を意味する12番目のてんびん座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、次第にこの世から立場を失っていくであろうものの後ろ姿をしかと目に焼き付けていくべし。
「ぎなのこるがふのよかと(生き残ったのが運のいい奴)」
この言葉は、社会の底辺に革命の起点を求めて独自の運動を展開していった詩人思想家・谷川雁の「革命」という詩の最後の一行です。
作者は自分のことを革命家だと思っていたのでしょう。けれど、その意味するところが普通と少し違っていました。すなわち、彼の考えていた「革命」とは、社会の発展には違いないけれど、そのまま進歩だけを意味するのではなく、死滅の相を含んだものでもあり、どこかかなしさやさみしさを噛みしめるようなものだったのでしょう。
間違っても、公平無私こそ革命家だとか、未来は必ず良くなるんだとか、そういういい加減なことばかり言っている人達とは一線を画した人物でした。
死んでしまったら、それは仕方ない。転向してしまったら、それも仕方ない。生き残ったのが運のいい奴。これは自分自身への皮肉でもあったに違いありません。
今週のさそり座もまた、そんな「運のいい奴」という立場から、自分なりに起こすべき革命があるとすれば、それは一体どんなものなのか、思いを巡らせてみるといいでしょう。
さそり座の今週のキーワード
詩的革命