さそり座
最もリアルな幻とは
生きた甲斐
今週のさそり座は、『秋刀魚焼く死ぬのがこはい日なりけり』(草間時彦)という句のごとし、あるいは、みずからの命を一生懸命に惜しんでいこうとするような星回り。
去年に引き続き、今年も秋刀魚の値段が高いと話題になっていたが、長い目で見ればいつの時代においても秋刀魚の味は値段以上に貴重なものだったのだろう。作者は大正生まれだが、明治生まれの俳人・三橋鷹女にも、「あす死ぬるいのちかも知らず秋刀魚焼く」という句があった。
作者は若いころから病弱で苦労してきた人で、できるだけ死ぬときは人に迷惑をかけず、ピンピンころりと死にたいといった死に対する恬淡とした態度は十分に備えていたはずだが、それでもうまそうな秋刀魚を焼いていたら、急に死ぬのが心底怖くなってきたのかも知れない。
もしもこれが最後の秋刀魚だったら。もう二度とこれを味わうことができないかも知れないと思うと、命が惜しくなってくるのだ。しかし考えようによっては、そんな風に思えるものに出会えただけでも、無上のしあわせと言えないだろうか。そんな風に思えた日を迎えられただけでも、生きた甲斐があったのではないだろうか。
11月24日にさそり座から数えて「生きがい」を意味する2番目のいて座へと「決断力」を司る火星が移動していく今週のあなたもまた、そんな風に死ぬのが心底怖くなった瞬間があっただろうかと、胸に手を当てて考えてみるといいだろう。
“幻”以上のもの
例えば、さまざまな学を横断して存在論、生命論、人間論などを一つの大いなる連鎖に繋げていったヘーゲルを唯物論的に変形させたマルクスは、資本主義という経済システムの矛盾を明らかにせんと書かれた『資本論』のなかで、4度も「ファンタスマゴリア」という言葉を使っていた。
これはほとんどの日本語訳ではただ「幻」と訳されているが、巨大な幻灯機のことであり、映画の前駆形態のイメージ。マルクスが生きた19世紀当時、パリやロンドンではファンタスマゴリアの興行が行われており、特にロンドンでは大変な人気だったのだとか。
見世物としてのファンタスマゴリアというのは、言ってしまえばガラスと光学機械と照明の詐術なのだが、ありもしないものを舞台上に見せるという意味では現代のVRやARの原型とも言える。
それをマルクスが何回も、「労働者にとって彼が作った商品は、その瞬間から目の前のファンタスマゴリアでしかない」という言い方でその虚妄を突いた訳ですが、それは単なる“幻”以上に厄介な代物であることがここから分かるのではないだろうか。
同様に今週のさそり座もまた、ある特定の“幻”に自分が魅入られてしまう必然性について認識を深めていくべし。
さそり座の今週のキーワード
仮想的現実から実質的現実へ