さそり座
グッバイ・イエスタデー
別の仕方で取り返す
今週のさそり座は、茨木のり子の『わたしが一番きれいだったとき』という詩のごとし。あるいは、過去となりつつある自分自身にレクイエムを捧げていくような星回り。
いわゆる「ポエマー」と呼ばれる人物像とは対極にある詩人のひとりに茨木のり子がいます。例えば、彼女の初期の代表作『わたしが一番きれいだったとき』の途中から終わり部分を一部抜粋してみましょう。
わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか/ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
(中略)
わたしが一番きれいだったとき/わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん/わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた/できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた/フランスのルオー爺さんのように/ね
彼女は1926年生まれで、敗戦時は19歳。女性として、ひとりの人間として、もつとも光り輝く年頃を迎えていた訳ですが、かたわらでは男どもはしょぼくれて、反省ばかりしていた。そんな町を、「腕まくり」して歩いていた彼女の心意気というのは、感動的ですらあります。けれど、後になってそうでしかあれなかった自分の不幸や寂しさを認めて、それを別の仕方で取り返す決意をしている訳です。
この詩が入った『見えない配達夫』という詩集刊行時、著者は32歳。当時の社会通念ではすっかり落ち着いた年頃と言っても過言ではないでしょう。晩年の彼女の詩には「詩はたぶらかしの最たるもの」という一節がありますが、『わたしが一番きれいだったとき』という詩は若者としての自分へのある種のレクイエムだったのかも知れません。
15日にさそり座から数えて「見えない領域」を意味する12番目のてんびん座の新月から始まる今週のあなたもまた、これまで気付いていなかった自身の不幸や寂しさを認め、きちんと供養をしていくことが、今後の新たなチャレンジの原動力になっていくはずです。
福沢の「棚卸し」論
福沢諭吉は『学問のすゝめ』において、人の価値は生まれながらのものではなく、学問を習得した度合いで決まると説きましたが、彼の言う学問とは「実学」のことであり、時代に即した、変転する世界を生き抜いていくのに必要なサバイバル・テクニックとしての知識や知恵のことでした。
そして、そうした実学習得と併せて福沢が人びとに説いたのが、定期的な「棚卸し」であり、それは狭義では自身が持っている能力の点検や、その過不足の正確な把握を怠るな、ということを意味しましたが、決してそれだけではありませんでした。
福沢の言う「棚卸し」とは、目標実現のための努力に一定期間時間を割いても効果があがらなければ、小手先の修正ではなく、学び方そのものの大胆な組み換えを行うべきであることを指しており、それは過去の慣習や旧体制にしがみつく人々を至るところで批判していた福沢本人の真骨頂でもあったように思います。
実学はそのために用いることができてこその「実学」であり、自分を相対化できないような知識や知恵は、激動の時代においては本当の意味で自分自身のためにはならないのだ、と。その意味で、今週のさそり座もまた、茨木や福沢に倣うかのように鋭いシフトチェンジを図っていきたいところ。
さそり座の今週のキーワード
詩を編むとは、自分自身の大胆な組み変えである