さそり座
遊び尽くしてやっと
この世界の実相
今週のさそり座は、南方熊楠が自然に見出した「流動」や「自由な結合」のごとし。あるいは、これまでどうにも動かないように見えていたものが、スッと動き出していくような星回り。
宗教学者の中沢新一が長年研究してきた明治の生んだ稀代の博物学者・南方熊楠(みなかたくまぐす)についての講演をまとめた『熊楠の星の時間』を読んでいると、熊楠という破格のスケールの人物の持ち得た思想や活動を追いかけていくことで、そこに「東洋人の思想の原型」を見出そうという野心的試みが浮かび上がってきます。
例えば、「南方マンダラ」と命名した熊楠流の学問の方法論について、中沢は次のように記しています。
事物には「潜在性の状態」と「現実化した状態」との二つの様態があって、現実化している事実もじつは潜在性の状態にある事実を介して、お互いにつながりあっています。そのため現実化した事実だけを集めて因果関係を示してみせたとしても、それは不完全な世界理解しかもたらさない、というのが熊楠の考えでした。
これは何も粘菌や華厳経など、熊楠が学問をしていく上で関わったものに関係しているだけでなく、今日のエコロジー思想を先取りしていた神社合祀反対運動や霊魂についての考え、彼がその身をもって生きたセクソロジー、男色、ふたなり(半陰陽)なども含めての言及でしょう。
事物や記号はいったん潜在空間にダイビングしていく見えない回路を介して、お互い関連しあっています。そして潜在空間ではあらゆるものが自由な結合をおこなう可能性を持って流動しています。
そう、この「流動」をダイナミックに展開こそが、熊楠が自然の中に見出していったビジョンの相であり、新自由主義的な思考に慣れきってしまった現代人が見失いつつあるこの世界の実相なのではないでしょうか。
10月6日にさそり座から数えて「啓発」を意味する9番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、これまでの自分の仕事や活動を支えてきた世界観を別の方向へとシフトさせていく上で、改めて自分なりのオルタナティブな思想を模索してみるべし。
袁枚の「偶然作」
18世紀清代の文人である袁枚(えんばい)は、24歳という異例の若さで科挙に合格したものの、田舎まわりの生活に嫌気がさして38歳で、「随園」と名付けた庭園のある邸宅に隠遁したとされています。
彼は美食でならし、各地の食材や料理のレシピについて綴った『随園食単』によって、「西のサヴァラン、東の随園」と言われるほどに歴史的にも有名な人物ですが、彼には「偶然作」すなわち「たまたまできた詩」という、漢詩にはお約束のタイトルの作品があり、賭け事以外の遊びにことごとく手を染めてきた自分が、ある日を境に変わってしまったことを次のように歌っています。
忽忽四十年 味尽返吾素
惟茲文字業 兀兀尚朝暮
すなわち「ところが40になると 遊び尽してやっと本来の自分に返ったかのように、本を読むことが急に面白くなり、毎日ひたすら読書にばかり明け暮れるようになった」と。
今週のさそり座もまた、そんな一節を書いてその通りに生きてしまった袁枚のように、自分が今それを生きつつある変化に思い当っていくことになるでしょう。
さそり座の今週のキーワード
忽忽(こつこつ)⇒兀兀(こつこつ)