さそり座
衆生本来仏なり
「名月」とはなにか
今週のさそり座は、『名月や夜は人住(すま)ぬ峰の茶屋』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、みずからの意図を超えたものに触れていこうとするような星回り。
現代の私たちは、科学知識によって月が岩石からなる地球の衛星に過ぎないことを知っています。そういう観点からすれば、ふと見上げた空にかかっていた月が「名月」であろうとなかろうと、そこに何ら特別な意味はない、ということになります(学校教育の弊害)。
しかし、そういう人間側の認識だとか判断だとかを超えたところに、「お月様」はいる。峰の茶屋だから、昼間は訪れる客のために店を開いているけれど、夜には誰もいなくなる。けれど、それであなたが気付こうと気付くまいと関係なくそれはあって、夜の闇に沈んだすべてのものを、等しく照らしているし、少なくとも、作者は掲句を通じてそういう「超越性としてのお月様」を感じているわけです。
この「お月様」という感覚は、学問以前のナマの世界の意味でもあるんですが、哲学ではそれを「アプリオリ(先験)」と呼んで、いわば経験以前のもの、それなしにはあらゆる営みが成り立たないものを指している。その意味で、「名月や」というのは私たちの本性、仏性としての月を見据えた措辞でもあり、本当は作者もここで読者に向けて「あなたの中にも名月が光っているんだよ」とそっと語りかけているのではないでしょうか(実際にそんなことをそのまま言ってしまえば、余計なお世話だと怒られそうですが)。
9月29日にさそり座から数えて「禊ぎ」を意味する6番目のおひつじ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、アタマで考えて自分の思いで世界を動かそうとするのでなく、なんだか分からないけれどそこにあるものを皮膚感覚で捉えていくことがテーマとなっていきそうです。
余計な力を抜いてゆく
より簡潔な言葉に言い換えれば、今週のさそり座はいかに上手に「力を抜くことができるか」ということが問われていくのだと言えます。
例えば、自分の考えを言葉にするのが苦手な幼児や児童を対象とした心理相談では、言葉より人形遊びや好きなゲームなどの「遊び」を中心にセラピストとやりとりをするやり方が主流です。つまり、人形やゲーム、箱庭に言葉にならない言葉を見出していく訳で、掲句の作者(彼は画家でもあった)もまた俳句に熟達していくうちに、次第に力みが抜けていったのではないでしょうか。
今もし頭の中で考えやイメージがこんがらがって、ほどくのが難しいと感じているのなら、「峰の茶屋」でなくても構いません。森、原っぱ、砂漠、岬、広場、洞窟、浜辺、川岸、沼、村はずれ、鉄塔、山、大理石など、自分がピンときた場所や環境に身を置いて、まずは副交感神経をリラックス状態していくことを優先するといいでしょう。
こちらの意図を超えたものをサッと捉えていく時というのは、案外そうした自分をうまくずらしてくれる場所にいる時と決まっているものですから。
さそり座の今週のキーワード
心身虚脱