さそり座
島影から大陸をまなざす
悪すなわち美
今週のさそり座は、「悪人」や「悪女」、「悪太郎」のごとし。あるいは、人間からの退散&自然への接近をはかっていこうとするような星回り。
ここのところ突発的な自然災害だったり、AIの著しい発達だったりと、ヒューマン(社会)とノンヒューマン(自然)との緊張関係が、改めて顕在化しているような感じがありますが、こうした状況下において私たちは自然といかに向き合っていけばいいのでしょうか。
例えば、それにはどこまでも社会に適応した“いい人”をやめること、より積極的にはある種の“悪い人”になるというものがあります。宗教学者の中沢新一は俳人の小澤實との対談集『俳句の海に潜る』の中で、そのことを次のような言い方で表しています。
もともと、「悪」には死という意味もあります。要するに人間の外にあるものに触れていますからね。でも悪はパワーが強い。死に接近しているのが悪、自然です。和歌の世界の、作られた世界って、その悪にはあえて接近しないのでは。でも、俳句はむしろ悪に接近した芸術ではないか。今や悪という言葉をもっと豊かにしていかないといけないと思います。「自然」と書いて、「あく(悪)」と読んでも「かみ(神)」と読んでも昔はよかったんですよ。
中沢いわく「悪」というのは、本来むき出しの自然、ぜんぜん人間の力ではどうにもならない恐るべきパワーの世界に接近して、そこに踏み込んでいく行為のことを言うのだそうです。
その意味で、8日にさそり座から数えて「関わるべきもの」を意味する7番目のおうし座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、残酷さだったり、躊躇のなさだったりといった非人間的な領域にこそ身を潜めていきたいところです。
群島の想像力
そもそも日本というのは、地理的に大陸的現実から隔絶した極東の島宇宙な訳ですが、文化人類学者の今福龍太は『群島―世界論』において、そうした群島(アーキペラゴ)とは「死者の絆」によって繋がっているのであり、「群島の想像力を喚起するのは生者ではなくてむしろ死者のほうである」と述べています。
群島では陸地という陸地に必ず海の声やその気配が漂うものですが、海の声というのは決してひとつの声ということはなく、溺れた人たちの声だったり、数多くの死者や亡霊のうめき声が入り混じった多声音楽(ポリフォニー)であり、したがって群島とはその本質から多言語的な反響世界、あらゆる言葉が響きあう混沌世界なのだと言えます。
生者のただ中で、死者は語り出す。とすれば、まさにこれら死者の語り出しの瞬間を繊細にとらえ、そこに固有の時と場を与え、国家や民族の空間に封鎖された死者の位置や意味を、海と河を繋ぐようなヴィジョンのもとに世界大に結びあわせる新しい群島の想像力を、私たちはいま必要としている
今週のさそり座もまた、そうした群島的な想像力にしたがって、「近代世界をすみずみまで構築した大陸の原理」をひっくり返していこうとしているのかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
「群島は死者の声の浮上を待ちつづける、意識のフロンティアである。」(今福龍太)