さそり座
認識の闇の奥へ
秘かなる訓示
今週のさそり座は、ある精神科医の仕事のごとし。あるいは、わからないことを、そのまま引き受けていこうとするような星回り。
ともすると人間関係の希薄化が糾弾される現代社会ですが、そうした批判に関連して思い出されるのが、精神科臨床医の塚崎直樹氏が実際に体験した患者のエピソードです。
塚崎氏はある女性の患者さんを受け持ったとき、症状が安定せず、入退院を繰り返していたため、家族に来てもらって治療の仕方について相談したいと思ったが、家が遠方で来院が難しいということだったので、家を訪問することを申し出たのだといいます。
患者さんは気乗りしない様子でしたが、最後には了解して、電車とバスと徒歩あわせて2時間あまりかけて山の中の部落内にあった患者さんの家を訪ねたが、いくら声を出してもなしのつぶてで、物陰から見られている気配はあったもののついぞ反応なく、帰ってきた。
ところが、それからその患者さんは塚崎氏の顔を見る度に「気持ち悪い奴」「泥棒」「乞食」などと罵声を浴びせるようになり、関係が悪化したため担当医を交代したものの、病院の廊下などで激しい叫び声とともに罵声を浴びせられる理不尽な日々が2年間も続き、ある日突然それが終わったのだそうです。
あの2年間が何であったかは、ついに説明がなかった。反省の声を聞くこともなかった。始まったのも唐突で、終わるのも思いがけなかった。(中略)いろいろ予想することは可能だが、詳細はわからない。無理にわかろうとすると、逆に事態を悪化させるように思える。私は、このことがあってから、わからないことを、そのまま引き受けていくことが医者の仕事だと思うようになった。医者がこういう考えを持っていることは、たぶん患者の側からはわからないだろう。
4月6日にさそり座から数えて「心の奥底」を意味する12番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、人と人との間にもこうした根源的な「闇」の入り込む余地があるのだということを思い出してみるといいでしょう。
「わかる」とはどういうことか?
たとえば、夫婦同士、友達同士で「わかり合う」ためには、まず自分のことが「わかる」のでなければなりません。例えばニーチェは人間が何かを認識するということは、未知のものを既知のものに置き換えることだと考えていましたが、はたして私たちはそのような意味で、自分のなかにある未知なものを否定しきれるでしょうか?
少なくともニーチェは、そうした自己認識は必ず失敗すると考えました。なぜなら人は、そもそも自分が何を考え、何を望んでいるのかを、自分で意識することがほとんどできないから。むしろ、安易に自分のことをわかったつもりになることほど、みずからを陳腐化させてしまう真似はないはずです。
今週のさそり座もまた、自分を認識しようとしたとたん、覆い隠されてしまう自己認識の不可能性を改めて引き受けるところから始めていくべし。
さそり座の今週のキーワード
無理にわかろうとすると、逆に事態を悪化させる