さそり座
私はそれができない
ふらふらうろうろ
今週のさそり座は、『春の日を一杯に浴び画もかかず』(小川芋銭)という句のごとし。あるいは、世俗の外へと足を踏み出していこうとするような星回り。
どこか子供のようなやわらかく温かい春の日を思わせる一句。作者は俳句も短歌もつくったが、何よりよくカッパを描いた個性派画家として知られた人。
つまり、掲句は本業から離れて余技に遊ぶ「サボり俳句」であり、だからこその技術の粋を集めた「圧縮」とは逆ベクトルの、自由でのびのびとして、どこか「破綻」をきたしているにも関わらず、それを笑い飛ばしてしまうような大らかさを感じさせるのでしょう。
現代人はとかく、「何をすべきか」とか「どこに力をいれるべきか」といったことばかり気にして、とにかくいつもどこかしらが緊張していて、ギュッと肩に力が入りっぱなしですが、掲句を読んでいると、むしろ「どこでサボるか」とか「いかに力を抜いていけるか」といったことの方が、生きていく上でよっぽど大事なことのように思えてきます。
なお「芋銭(うせん)」という号は、作者が日本画をやるようになった頃に自分でつけたもので、「自分の描いた絵が芋を買う銭になればいい」と思ってこのようにつけたのだそう。こんなところにも、作者の俗に汚れていない魂の片鱗が垣間見えるはず。
7日にさそり座から数えて「はずみ」を意味する11番目のおとめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、掲句のようなゆるやかな「破綻」をみずからにもたらしてみるといいでしょう。
「すべては真剣であり、ばかばかしくもある」
19世紀末フランスで活躍し、2度のタヒチ滞在を通じてプリミティヴィズムに強く影響を受けたポスト印象派の画家ゴーギャンは、最晩年に或るエッセイ集を遺しています。
その中に『人生とは』という少々野暮ったい表題のエッセイがあり、冒頭で
人生とは、人がそれを意志的に実践するのでなければ、少なくともその人の意志の程度にしか、意味を持たないものだ、と私は考えている。美徳、善・悪などはことばである。もし人々が、それをひき砕いて建物を建てるのでなければ、(中略)意味を持たない
と述べています。
ずいぶん率直に物申す人だなと思っていると、唐突に「私は、愛したいと思いながら、それができない。私は愛すまいと思いながら、それができない」と告白してみせるのです。
彼はけっして愚かではなかったものの、だからといって生き方がうまい訳でもなかったのでしょう。彼の文章はそんな特質を反映するように、まどろっこしく、不安定なのですが、それも「すべては真剣であり、ばかばかしくもある」といった少しの本音を隠すためのカモフラージュのように思えてきます。
今週のさそり座もまた、得意になるためでも、後悔するためでもなく、ただ純粋に自分自身であらんと意志していくことがテーマになっていくでしょう。
さそり座の今週のキーワード
プリミティ部