さそり座
終わらせ方を思い出す
ぽっかりと穴をあける
今週のさそり座は、「無」の受け入れ。すなわち、気が付いたら始めてしまっていたり、その上に乗ってしまってものやことをキャンセルしていこうとするような星回り。
気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルと中国哲学を専門とする哲学者・中島隆博との間で2020年に行われた対談を書籍にした『全体主義の克服』では、たとえば量子力学やひも理論に根底にあるような東洋的な発想について、中島が次のように喩えています。
「穴」や「窓」や「器」といった外に開かれたものが出てくる底がある。つまり、物の背景自体は物ではない。このことに気付くと、物と思われるものも物ではない、つまり「無」であることがわかる。
そして、これがニュートンやカントのように現実=実在というものを何らかの自然法則に支配されたたくさんの点のように、確かに存在するものの集合だと考えると、「無」というものが物のもっている安定性を得てしまう訳ですが、これは誤解なのだということを、3世紀の中国の哲学者である王弼(おうひつ)を引いてさらにこう言及してみせるのです。
たとえば『老子』第六章に「谷神(こくしん)は死なず。これを玄牝(げんぴん)」という一節があります。それに対して王弼は「谷神は、谷の中央にあり無谷である。それは影も形もなく、逆らうことも相違することもなく、低い位置にあって動かず、静かさを守って衰えない」と注釈をつけています。(中略)ここで王弼が考えているのは、特定の谷に物が存在すると考えてはいけないということです。あえて言うならば、これは根底的で現代的な哲学です。
ここで言う「無」とは、物と無とを分ける二元論ではなくて、物以前に働くものであり、中島はそれを王弼にならって「一種の取り消された働き」とか「何らかの操作の取り消し」と呼んでいますが、それこそまさに今の日本政府や政治家に必要な発想でしょう。つまり、無の中にきちんと根を下ろしていないから、物事の終わらせ方が感覚的に分からなくなってしまったのではないか、と。
同様に、27日にさそり座から数えて「息継ぎ」を意味する8番目のふたご座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、どうしたら近代合理主義やそれを基礎づけているものの見方を超えた発想を取り入れられるかが、ひとつの鍵になってくるはず。
言葉を待つこと
「近代を超える」と言ってもまさに言うは易しですが、例えばそれは「話しあい」の代わりに「黙りあい」を試みていくということでもあるかも知れません。少なくとも、現代人の生活に何が失われてしまったのかと問うならば、その答えは間違いなく「話しあう」時間ではなく「黙りあう」時間の方でしょう。
何かが頭に思い浮かんでも、すぐに口に出すのではなく、それをキャンセルできたとき、私たちは当事者意識のない詭弁(きべん)からも、余計な空気の読みあいや、過剰な自己主張からも解放されて、その数倍の“ことば”を聞き分ける機会を持つことが出来るのです。
逆に、普段から“ことば”を聞き分けることもせず、そのまま頭の中に張り付けてしまっている人というのは、いつしか自然に生気にみちた生に入っていくこともできなっていくはず。つまり、そうしてみずからの人生を語る言葉を喪失していく訳です。
その意味で、今週のさそり座はいつも以上に自分の内側を空にしてそこに生まれた沈黙に耳を澄ませていくことがテーマとなっていくのだと言えます。
さそり座の今週のキーワード
耳の穴を掃除する