さそり座
自分の声を取り戻すために
大きな声でゆっくりと
今週のさそり座は、『かわかわと大きくゆるく寒鴉』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、いかに「声をあげるか」ということに意識的になっていこうとするような星回り。
鴉(からす)は年中見かけるが、寒の鴉となると殺風景な中で懸命に生きていることを感じさせ、それだけでなく掲句のように時には滑稽な姿も見せてくれます。
「かわかわ」と大きな声で、ゆっくり鳴いた。そんな風に声をあげた鴉に、作者は何か捨て置けない特別な印象を抱いたのでしょう。
鴉でさえこうして必死に生き永らえようとする時には声をあげるのだ。いわんや人間をや、と。ただ日本社会というのは、いまだにどんなにお上に理不尽な命令を下され、苦しくなっても声をあげず、口をつぐんで我慢することが美徳とされている節があります。
こういう句を読んでいると、果たしてそれが本当に人間以前に生きものとして正しいことなのかと疑問が湧いてきますし、よしんば声をあげられたとしても衝動的にわめきちらすのでなく、こうして大きな声で、ゆっくりと声を発することができる人間がどれだけいるのでしょうか。
16日にさそり座から数えて「議会」を意味する11番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、日頃から自分がどんな風に声を出しているか、改めて振り返ってみるといいでしょう。
条件としての不条理と痛苦
「現世のなにものも、われわれから「私」と口に出していう力を取り上げることはできない」と、かつてシモーヌ・ヴェイユは『重力と恩寵』のなかで書いていましたが、実際にはしばしば私たちは「私」と口に出すことを忘れてしまいます。
そうして、ふとした偶然がたまたま重なって、出来事が自分から大事な一部を奪い去っていくという不条理を経験し、その痛苦とともに覚醒した時に初めて、私たちは思い出したかのようにやっとのことで「私」とつぶやくのです。
いわば、不条理と痛苦は、「私」という呪文を唱えるためには欠かすことのできない条件となり、そうであればこそ、自身の抱える不条理と痛苦をより深く、よりドラマチックに認識していく必要に迫られていく。そうちょうど、冬の「寒」を通して「自分の声」を取り戻した「鴉」のように。
その意味で今週のさそり座は、そんな私以前のものが、私になっていくための一芝居を打っていくようとも形容できるかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
寂しいなら寂しいと言ってみよう