さそり座
書をすて靴をぬごう
風景のあの世化
今週のさそり座は、「あの世っぽい風景」が差し込んでいくよう。あるいは、当たり前の、息苦しい意味連関からいったん解き放たれていこうとするような星回り。
最近、ネットではAIが入力されたキーワードに応じたイラストを自動生成するサービスの話題で賑わっていますが、たとえば「あの世っぽい風景」など、実際に経験した人が誰もいないために、いくら「ぽい」ものが出来上がったとしても、本物にどの程度近いのかを確かめようのないイラストの類いというのがどうしても出てきてしまう訳です。
ただ、「あの世っぽい風景」というものには、2つの典型的なパターンというものがあって、ひとつは霧が立っていたり、靄が垂れこめていたりするような朦朧とした光景で、その曖昧さや視界の悪さが、どこか神秘性を感じさせるというもの。
そしてもうひとつが、それとは真逆の、異様に鮮明でシャープに映る光景です。現実にはありえないような解像度で、不気味なほどに鮮やかな色彩が映りこんでいると、それが例えごく普通の日常的な風景であっても、途端に尋常でない雰囲気を醸し出すのです。
おそらくそれは、あの世というのがこの世の人間であることから解き放たれなければ、決して見えてこない世界としてあるからなのでしょう。例えば皆既日蝕の際に、急に青空が真っ暗に翳り、雲が静止して、あたりの建物などがシャープ過ぎる輪郭線で縁どられていった時なども、そうした当たり前の風景の「あの世化」の一例と言えます。
9月18日にさそり座から数えて「意味関連の喪失」を意味する8番目のふたご座で形成される下弦の月へと向かっていく今週のあなたもまた、どこかで自身の内なる風景がつかの間の「あの世」へと変貌していくことがあるかも知れません。
通奏低音としての「素足」
「素足」とは、何よりもまず、ひりひりとした新鮮な感受性である。また、正確な平衡の源泉である。総じて、大地の直接の感覚である。(中略)さらに、大地の感覚は「地下の異次元世界に通じ」その底から患者を仰ぎみる感覚をもさずけてくれる
そう書いていたのは、霜山徳壐の『素足の心理療法』の書評を書いた精神科医の中井久夫でした。書名の意味するところは、技法以前の著者が心理療法に臨む「通奏低音」において、「病む者へのつつましい(小文字の)畏敬」なのではないかとも述べていましたが、これは今のあなたにとっても忘れてはいけない大事な感覚なのではないでしょうか。
「靴をはかない」ということは不偏不党という気楽なことではない。自分の素足で歩くということは「雪の上を裸足でよろめいて行く」と述べられてあるとおり、何によっても守られていないということである。
今週のさそり座もまた、いま自分がどんな保護膜や覆いを脱ぎ捨てようとしているのか、改めて思い定めていくことになるでしょう。
さそり座の今週のキーワード
ひりひりとした新鮮な感受性を取り戻す